CHISOU

VOICES

当事者がアートという崇高な物に仕立て上げている感

Writer: 渡邉ゆかり

会田大也|ミュージアムエデュケーション的体験のデザイン

アートだから感じればいい!考えるな感じろ!と言っていいのは鑑賞者の話であると思う。アートとデザインを作り上げる工程は同じだ。普段アートの話をする時に、アーティスト、アートに触れる機会をつくる側、アートを受け取る側といった、立ち位置が存在することがしばしば忘れられているのでは…と思う時が多々ある。アートを通じて意識させる、導線をつくる、入口を作るといった行為は正にデザインの手法だろう。しかし、なぜか、アートとデザインでは分断を感じる。デザインをやっている人は「アートはわからない」、アートをやっている人は「デザインはわからない」、と。世の中に最終アウトプットさせるまでの工程は、アートであろうがデザインであろうが、同じだ。リサーチして、分析して、構築する。結局、「これはアートだ!」とか「デザインだ!」とか、最後に出来上がったものに対して言うのは受取手次第なのではないか。なんだか、偉そうなことを書いているな、と思う。

「あーと?日本の言語へ」

アートといっても、日本でのアートの普及は恐ろしく低い。田舎でアートの話が出ることなんて、一年に一度しかこないお正月レベルだろう。正解を求めてきた日本人にとって、答えのないものが受け入れられるのはなかなか難しい。vogueではなく、popteen。好きなものを着ればいいと言いつつも、着こなし術といった解説している雑誌を求めていた。説明してくれるものを求め続けた日本人に、説明なしの好きにしていい、はとてもハードが高いように思う。まず、感じるって何よ!?良いって何!?といった感じだとおもう。しかし、日本では「用の美」がある。四季折々に合わせたその時の美しいもの生活の中に取り入れ、豊かに暮らしてきた。(本当に豊かかはしらないけど。一応そういうことが言われている。)日本では、日本なりの切り口で美しさや感じる心を持っていたのを、いきないり西欧バージョンの美の感じ方に切り替えても、風土が違うのだから難しいだろう。言葉だけが先走りして、人だけが置いてきぼりになっている感じ。まだ、これ!と言う言葉は見つからないが、アートという言葉ではなく、日本なりのアートを解釈をした造語ができたら、また新しい捉え方ができるのではないか、と私は長年フツフツと思っております。

  • Update: 2020.09.15 Tue.

PROFILE

渡邉ゆかり

私は、伝統工芸/産業の職人とプロジェクトをしています。職人は何百年も続く技術を自分のものとし、見えざる哲学を自身に構築し、世界に誇る作品をつくり続けています。しかし、多くの人は生まれ育った地域のことに興味を持ちにくい傾向があり、自分の地域のものづくりのことをあまりよく知らない、といった現状があります。伝統工芸は過去のものではないのです。地場のものが、きちんと地域住民に認知され、応援される状況ができれば未来に続きます。そのための手法を知り、更に、伝統工芸と職人のアーカイブ手法の可能性を探りたいと思っています。

REFERENCES

講座について

LECTURE OUTLINE

会田大也

ミュージアムエデュケーション的体験のデザイン

  • ラボメンバーコース
  • ゲストコース

2020年9月5日(土) 14:00–16:00

CHISOU lab.

  • ラボメンバーコース

2020年9月6日(日) 10:00–12:00

CHISOU lab.

近年アートプロジェクトや芸術祭の中でも鑑賞者を主軸にしたラーニングや教育プログラムが注目されるようになりました。長年、鑑賞者の主体性を引き出すプログラムやワークショップを実施してきた会田大也さんをお招きし、アートを通じた豊かな学びの方法について考えます。

会田大也
ミュージアムエデュケーター/山口情報芸術センター[YCAM]学芸普及課長

1976年東京都生まれ、山口県在住。YCAM開館より11年間、教育普及担当としてメディアリテラシー教育や美術教育、地域プロジェクトのワークショップやプログラムを開発実施。近年はアート分野だけでなくビジネスやまちづくりの分野でも研修などの開発に携わっている。