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河野良文&小山田徹「お寺にみる、拠り所としての共有空間」

2020年9月26日(土) 16:00–19:00

大安寺

Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)

河野良文&小山田徹「お寺にみる、拠り所としての共有空間」

読解編の第2回では、古来より祈りと学びの空間として地域の精神的支柱でありつづける大安寺の河野良文貫主と、カフェや焚き火など人びとが集う共有空間の開発を手がけてきた美術家の小山田徹さんにお話いただきながら、まちの中でさまざまな背景をもつ人びとが出会い、語り合い、互いの存在について認め合う場のあり方について、思いを巡らせました。

社会彫刻とは──社会の中に共有空間をつくる

小山田 ドイツのヨーゼフ・ボイスが「社会彫刻」という概念と言葉を残してくれたおかげで、彫刻作品をつくらない私が、京都市立芸術大学で彫刻の教員をしています。社会に必要な制度をつくったり、既にある社会の何かを変更したり、そういうことも社会に彫刻を施すという概念で捉えられる。アートの視点から見ると、いろいろな社会活動を社会彫刻という言葉で捉えることできるということを、ボイスは理念と言説と行動で示しました。私は美術家という立場で、人々が一緒に時間を過ごしたり何かをシェアしたりするための共有空間を社会の中につくりだすことを実践しています。ですので、社会彫刻の範疇に私の活動も入るのかなと思います。

 私は美術家という活動歴があるので美術から入っていくというだけで、できあがるものは別にアート作品でも何でもなく、シェアされる。つくっている最中に美術の何かが用いられるという感じです。例えば大工さんだったら大工という立場で、お医者さんだったら医者の立場で、幼稚園の先生だったらその立場で、共有空間をつくっていく。今日のこの場のようなお寺だったら、そこに属している方が共有されるものをつくったらどうなるか。そういう感じで活動をしています。
 縁があって今日は大安寺で行わせていただいていますが、まずは河野さんにここの成り立ちやベーシックな部分についてお話いただいてから、もし自分たちでこういう場所を使えるとしたら、どういうことをしたいか、どういうことが可能か、何が必要かということを、皆さんで意見交換したり、最終的にはアイデアを育てていく種をつくれたらと願っています。

大安寺の成り立ち──壮大な伽藍と887人のエリート学侶

河野 皆さん、今日はようこそおいでいただきました。この大安寺は日本で一番古いお寺の一つで、聖徳太子の建立に始まると言われています。その後、飛鳥で天皇が建てた最初の大寺として成立し、大官大寺と呼ばれました。飛鳥に参りますと、大和三山の一つ、天の香具山のちょっと南の麓に、大官大寺跡という石碑が一つだけ立っている場所があります。飛鳥時代には国家筆頭寺院ということで壮大な伽藍が建っていたわけですが、そこにできたお寺が、平城遷都でこの場所に移されて大安寺となりました。ここは平城京の六条四坊という地にあたります。皆さんが入ってきた門、そこに昔は南大門があったのですが、その門の前の狭い道が六条大路で、まっすぐ西へ行くと薬師寺の中門の前に至る。その六条大路の四坊というところに壮大な敷地をもって成立したのがこの大安寺でして、平城京では最大規模のお寺でした。
 この辺り一帯には大伽藍が立ち並んでおり、887人の学侶が居住していました。奈良時代の坊さんは、今の我々とはだいぶ違いまして、学問的なエキスパートでした。例えるなら小山田先生のような大学教授クラスの方々が887人もここにいて、様々な大陸から伝わってきた仏教を中心とする異国の文化を学んだり広めたりしていた。そんな超エリート集団の集まる場所が、この大安寺でした。

小山田 この地面の下にその歴史があると想像すると、ちょっとゾワっとしますよね。初期の伽藍では、様々な研究や勉強をして布教もするという、今でいうところの学問や大学と同じようなところで、人々が住み込んで修行をする場所だったということですね。

河野 我々が座っている背後に金堂と講堂があり、それらを取り巻くように三面僧坊ができました。僧坊とは坊さんの住まいでして、そこに887人の坊さんが住んでいたようです。ですからこの辺りでは、坊さんが読経に疲れてちょっと散歩したり、瞑想したり、研究書を紐解いたり、そういう生活をしていた場所だったのでしょう。

インターナショナルな最先端の学びの拠点

小山田 オックスフォード大学の中庭みたいですね。当時の国家にとって仏教は最先端の学問で、それを学ぶ場所がここにあり、アジアを中心とする様々な地域からたくさんの人々が訪ねてくる場所でもあったということですか。

河野 海外の坊さんもたくさん居住していました。はっきりと名前がわかっているのは、インドの菩提僊那です。日本に来てからずっと大安寺に住んでいて、その時に東大寺ができ、大仏開眼の導師をしたということで、よく知られています。また、菩提僊那と一緒に遣唐使船で七三六年に日本に着いた道 という中国の坊さんもここに住んでいました。この方は華厳経や戒律の大家でした。さらに、仏哲というベトナムの林邑の坊さんもここに住んでいた。仏哲は東大寺の大仏開眼の時に、林邑楽いう南方の舞を伴う音楽を奉納したことでも知られています。それ以外にも、朝鮮半島や渤海など、海外の様々な地域から渡来僧たちが来て、ここに住んでいました。

小山田 インターナショナルな場所だったということは何となく想像がつきますが、どのようにコミュニケーションしていたのか想像がつきませんよね。サンスクリット語なのか、漢字みたいな書き物を介して対話できるかもしれませんが、話し言葉はどうしていたのでしょうか。

河野 私の勝手な想像ですが、中国に留学した坊さんも多くいましたので、中国語も会話で使われていたでしょうし、お経は全て漢訳ですから、書くのには漢字が使える。インドの菩提僊那も、インドから直接来たのではなく中国経由で来ました。何年間か中国にいらっしゃったということだと思いますから、中国語である程度の日常会話をされたのでしょう。サンスクリットについては、菩提僊那と一緒に来ていたベトナムの仏哲がサンスクリットの教科書のような物を一巻だけ残している。菩提僊那や仏哲がここで日本の坊さんに対して、サンスクリットも指導していたのではと思います。

一緒に住むことで混ざり合い、化学変化が起きる

小山田 レジデンス付きの学びの場だったというのがポイントですね。多くの人々が滞在することにより混ざり合い、伝播していく。そのなかでいろいろな翻訳が行われて、日本の文化に入ってくる。ある一定期間、一つの場所で、多くの人が一緒にいるということが重要です。
 大学がもつべき責務や理念として、自分の研究だけを深めていくのではなく、いろいろなものが出会う場所でなければならない。昨今、芸術と他大学の異分野が混ざるべきだとよく言われますが、最も手っ取り早いのは、共同の寮をつくって共に生活すること。海外から一流の研究者が来日した時に短期滞在できる場所も併設されているのが理想です。授業以外で、一緒に食事したり酒を飲んだりしながら混ざっていく。その方が深い意見や知識、インスピレーションの交換が行われる可能性があるし、知的な関係だけではなく、恋愛も含めて人間関係でいろいろな化学変化が起きるのではないでしょうか。そんなふうに様々な大学が連携して共同の寮を持てたら、特に分野が違えば違うほど面白くなるのではないでしょうか。大安寺の初期の頃は、そのような化学変化が起きる環境を人々がつくりだしていたんだろうなと感じます。

河野 お寺では本当にいろいろな人が皆で僧坊に住まう。僧坊には、大坊と中坊と小子坊という区分けがあったそうですが、その一つは雑居坊みたいな感じで、たくさんの坊さんが同じ部屋に住んでいました。方丈と呼ばれる一人用の小さな部屋もありましたが、それらも長屋みたいにつながっていましたから、インドの坊さんも、中国の坊さんも、ベトナムの坊さんも皆で混じり合って、そこに日本の様々な場所から来た坊さんも混じり合って生活をしていたんだろうと思います。

共有空間では何が共有されているのか

小山田 共有空間の話にも通じますね。共有という言葉は、漢字で書くと「共に有する」です。一体何が共有されるのかというと、具体的な何かがあるわけではない。シェアオフィスでビジネスマンが交流する時には、具体的な成果や価値あるものを交換し合う感覚があると思います。今日のレクチャーでも、皆さんは学びに来ていて何かを持ち帰りたいと思い、講師やスタッフは持ち帰ってもらいたいと思っている、そんな関係性で共有がなされている。でも、今日は私やスタッフの子どももいて、共有する時間を一緒に過ごしていますが、遊び尽くしてしまって今はリラックスモードです。かれらを見ていると「何が共有されたのか」考えても、具体的なものが浮かばない。でも、ものすごく大事な何かが共有されているような感覚があります。
 ところで、最近の大安寺は多くの学僧が集う大学のような状態ではないんですよね。

学問の中心から、人が集い安らぐ開かれた場所へ

河野 今はそうではありません。奈良時代から平安時代かけては、日本の学問の中心的なお寺でしたが、その後、寺勢が急速に衰えました。江戸の末頃にはもう疲弊していましたので、廃仏毀釈の影響はそれほど受けなかったのですが、明治や大正になるとほとんど誰もいない廃寺のような状態になりました。その後、お寺を少しでも復興していこうという気持ちで、いろいろなことがなされ、ようやくこういう空間ができあがってきたところです。現在は僧侶が五人しかおらず、日頃から学問的、専門的に仏教を研究する場ではなくなりま
した。今は、いわば信仰の場として様々な方が自由にお参りしたり、朝に散歩で訪れたり、境内でゆっくりしたりする場所になっています。
 最近では、海外の留学生や多様な人たちと共に国際的な催しもできたらと考え、国際縁日を開いています。実は平城京時代には大安寺から少し南へ行ったところに東市が置かれ、非常に栄えていました。市場は全国からいろいろな人や物が集まってくる場所です。そこでは大道芸を披露する人がいたり、いろいろな食を楽しんだり。そんな賑わいを再現できないかと、国際縁日では食や音楽、パフォーマンスなどを披露していただいています。

小山田 ここに初めて下見に来た時、緊張しながら門を入った瞬間、ちょっと緩い感じがしました。京都の禅寺などは良い意味でも悪い意味でもピリッとしていて、粗相ができない感じが漂っていて、絶対に自由に使えない。葉っぱ一つ動かしてもダメなのではという感じ。大安寺はちょっと柔らかい不思議な感覚があって、しかもベンチが置いてある。子どもが走り回れる広さもある。それらすべてが場をつくりだす要素として、独特の方向性を誘発している。

河野 お寺は閉鎖的であってはいけない、いろいろな方に自由に出入りしていただきたいという思いがあります。奈良の有名な大きなお寺を訪れた方も「ここは初めてだ」とおっしゃるし、奈良に住んでいる方も「聞いたことはあるけど来たことはない」と言う。一昔前には整備もされておらず、もっと雑然としていたので、長い歴史と大きな名前を想像して関東からやって来て「え……本当にこれが大安寺なのか」と落胆したという方もいらっしゃった。少なくとも来ていただいた方には、古の何かを感じたり、自由な思いでゆったり過ごし
たりしていただくために、少しでも整備をしようというのが今のスタンスです。

どうしたら共有空間に愛が芽生えるのか

小山田 子どもを見ているとよくわかりますが、自由にできる空間を求めています。でも、自由にできるとは一体どういう空間なのか。私も大学を運営するなかで、学生が共有空間を自主的に運営できるのかすごく気になる。学生が「自由に使いたい」と言う時には、頭の中に架空の世界があって、現実から離れた感覚で自由と言っているようにしか思えない時がある。使いたいけど掃除はしたくない、でも使う時には綺麗であってほしいとか、どのように使っても文句は言われたくないとか……そんな空間がありますか。ほとんどの共有空
間と呼ばれる場所は、誰かが用意した空間です。特に公共の空間は、行政が税金を用いて準備して「さぁ、ここでくつろいでください」とか「ここで学んでください」というふうに提供されたものです。そうなると「あぁ、自由に使いたいな」と反発的な意識をもってしまうけど、責任を取らなくてよい
から共有空間に愛が芽生えない。そんな関係がずっと続いてきている気がします。
 どうしたら愛が芽生えるのか。一つは、自分たちで苦労して空間をつくると、そこには愛が芽生えます。自分で切ったり貼ったり塗ったりすると、プロみたいにうまくはできないけど、愛着が湧きます。複数の人間と一緒につくると、その人たちの間に愛が芽生えて、その場を大事にしようと思うよね。そこにある空間を獲得する感じが、すごく大事なポイントだと思います。
 もう一つは、こういう場所……つまりちょっと空気が緩いところを見つけちゃって、ここで何かしたいと思うけど、自分のものではない。お借りしているという感覚がずっと付いてくる。歴史的な積み重ねのある場所だと、微妙な緊張感もありますね。でも、何となく緩い感じもあって、子どもをちょっと走らせてもいいだろうなと。けれど、他人様がお供えした物を絶対に動かすなという感覚は、親にもあるし子どもも肌で感じている。

遊びを通じた学び合いが誘発される場所

河野 そこの竹林の中に、いのちの小径と銘打った場所があります。心臓が悪くてペースメーカーを入れている人が、定期的に交換する必要があり、使わなくなったペースメーカーを納めに来ます。そのような人が、ちょっとでも癒しにつながったり、「悪くなりませんように」と祈ったりする場所です。おっぱいの形をかたどった石も置いてあり、乳がんを患った人のための祈りの場所ですが、そこも自由に誰でも入っていただけます。すぐ隣の大安寺小学校から先生と遊びに来た小学生がそこに入りまして、お賽銭が置かれているのを見つ
けた一人の子が「こんなところにお金が落ちている」と言っているかと思えば、「いやいや、それはここに置いてある物だから取っちゃだめなんだ」とちゃんと諌める子もいる。そういうことが自然とここで行われていたのが、なんか面白いなという気がしました。

小山田 場が共有される瞬間って、まさにそういう感じです。子どもは遊びを通じて勝手に学び合いをしている。そういうものが誘発される場の歴史と空間、空気みたいなものがあって初めて、それが起こる。微妙にすべてが禁止行為ではないことがすごく大事。手を出す子がいても仕方がない、でも手を出した後に諌められて返しにくるということが起こりやすい感じ。曖昧だけど場の雰囲気や言葉ではない何かで感じることができたり、周りに言語化して律してくれる他者がいたりする。そういう関係の中で共有されていくものは、すごく
大事なような気がします。でも、公共の空間だと最初から禁止行為が定められてしまっている。そういうものを打破していくためには、ここのような私的な空間と公共性が混ざった場所がもつ、ちょっと太っ腹な態度みたいなものが場をつくっていく感覚がすごく重要だと思います。

河野 お寺の門から入って本堂に入り、本堂に仏様がいらっしゃいますが、仏像の中が仏様の体内、あるいは本堂の中が宗教空間かと言えばそうではない。境内に一歩踏み込んだ時点で、そこがまさに仏様の世界に自分が入っている、そういう自然な感覚をもっていただくような場所になれたらと思っています。今、鳥が鳴いていますが、人の声や自然界の物音がそのまま仏様の説法なんだという受け取り方が自然にできる場所がいいなという思いをもっています。

小山田 お寺や神社は、朝行くと掃き清められていますよね。掃除をすること自体が修行の一つで、そういう精神性が常にルーティーンとして循環している場所です。昨日、自分が落書きした地面が、翌朝には綺麗にされて、誰かの手で整えられている。「また遊んでもいいんかな」と思いながら遊ぶ。昔は子どもの遊び場にはそういう感覚の積み重ねがあったのに、今は変わってきている気がします。「ここで完全に自由に遊んでいいよ」という空間を子どもに提供したら本当はだめなんじゃないかと。でも、ここのような場所だと、そうい
うものが自然に絡んでくるんじゃないかな。
 奈良は本当に物持ちのよい場所で、この地面の下にはとんでもない時間が埋まっている。そんな場所には他では変えがたい何かの力があるような気がしていて、そこで毎朝散歩したり子どもが地べたで遊んだりすることが、大事な共有性をもっている気がします。子どもが自発的に遊びを開発したり発見したりすることが誘発される場所は、今ではすごく贅沢になりつつありますが、ここ奈良にはまだまだある。たくさんの人がいろいろなアイデアでそんな場所を使っていくことを繰り返し、新しい歴史の層がこの上に重ねられていくこと
を夢想しています。

  • Update: 2020.10.26 Mon.
  • Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)
  • Photographer: 茶本晃生

講座について

LECTURE OUTLINE

  • ラボメンバーコース
  • ゲストコース

河野良文&小山田徹

お寺にみる、拠り所としての共有空間

2020年9月26日(土) 16:00–19:00

※荒天の場合は翌27日(日)同時刻

大安寺

古来より祈りと学びの空間として地域の精神的支柱でありつづける大安寺の河野良文貫主と、カフェや焚き火など人びとが集う共有空間の開発を手がけてきた美術家の小山田徹さんにお話いただきながら、まちの中でさまざまな背景をもつ人びとが出会い、語り合い、互いの存在について認め合う場のあり方について読み解きます。

河野良文
大安寺貫主

1951年福岡県生まれ、奈良県在住。15歳で高野山に登り仏門に入る。1985年より大安寺に入寺し現在に至る。南都七大寺のひとつに数えられる大安寺では、地域の様々な人にとって祈りや瞑想、交流の場として境内の庭を開放している。

小山田徹
美術家/京都市立芸術大学教授

1961年鹿児島県生まれ、京都府在住。1984年、大学在学中に友人たちとパフォーマンスグループ「ダムタイプ」を結成。主に企画構成、舞台美術を担当し、国内外で数多くの公演に参加。1990年より様々な分野の友人たちと造形施工集団を作り共有空間の開発を行う。