REPORTS
- レクチャー
陸奥賢「まち歩きに学ぶ、コンテクストを読み解く糸口の見つけ方」
2020年11月8日(日) 14:00–17:00
JR奈良駅集合、奈良県⽴大学までまち歩き
Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)
REPORTS
2020年11月8日(日) 14:00–17:00
JR奈良駅集合、奈良県⽴大学までまち歩き
Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)
読解編の第五回の講師としてお迎えした陸奥賢さんは、「大阪七墓巡り復活プロジェクト」や「大阪モダン寺巡礼」など、独自の視点で数多くのまち歩きを企画しながら、観光やメディア、まちづくりなど多様な分野でのプロデュースを手がけています。陸奥さんと一緒に奈良のまちを歩いた後、奈良県立大学でレクチャーを実施し、土地やあらゆる物事のコンテクストを読み解くための方法について考えました。
CONTENTS
①JR奈良駅の旧駅舎前で陸奥さん、受講者、スタッフが集合。1844年と1908年の古地図を持って、まち歩きスタート。
② 棚田嘉十郎の名が刻まれた石碑の前で、平城宮跡の保存活動に尽力したお話を聞く。
③ なだらかな坂を上る三条通りの途中で、ハザードマップを見ながら、奈良の地形とまちの形成の関係についてお話を聞く。
④ 第九代天皇である開化天皇の古墳を訪れる。江戸時代の地図には載っていないが、明治時代の地図には掲載されている。
⑤ 今川義元の息子が建立したという西照寺の歴史物語を聞き、徳川家康の墓碑を拝む。
⑥ ひっそりと集められた油坂町地蔵尊。現在は市営住宅に取り囲まれているが、かつては村とまちの端境だったそう。
⑦ 西方寺の駐車場で、奈良県立大学の近辺がもつ歴史的なアジール/マージナル性についてお話を聞く。
⑧ 稲荷神社の正一位太田大明神。奈良県立大学のある地域が芝辻村と呼ばれていた時代に献納された灯篭が残っている。
⑨ 奈良県立大学の門前。かつて陰陽師を補佐する声聞師が住んでおり、声聞師は曲舞や猿楽などの芸能も行っていたとのこと。
⑩ 奈良県立大学の隣に佇む畑中町地蔵尊。かつての街道の辻にあり、旅人もお祈りしていたであろう歴史の痕跡を感じる。
⑪ 本日のゴールは、1898年に開業し9年後に廃止されたという、幻の大仏鉄道を偲ぶ記念公園。鉄道の変遷から奈良のまちについて学ぶ。
奈良のまちを歩いてみてどうでしたか。奈良には色々な面白い場所がありますが、今日歩いたのは、南都と呼ばれたまちと村の端境にあたり、佐保川が境界でした。そういう場所は都市の構造を浮き彫りにしてくれます。中央には天皇や公家、武士、金持ちなど権力者がいる。そこから離れるほど違う力学が働いており、中枢から追いやられた人やそこに居られない人が集まってきて、周辺でたくましく生きています。
そのようなアジールという場所は世界中の都市にもあり、大阪にも江戸にもあり、地方都市にもあります。まちでも村でもなく、まちの外れでもあり村の外れでもある、マージナルな入り混じったエリアで、面白い文化と歴史をもった場所です。奈良県立大学はそんな場所にあります。どんな場所でもまち歩きは成立するので、また機会があれば違うところを歩いてみたら、別のまちの物語と出会えます。
まち歩きの途中でハザードマップを見て高低差について話しましたが、人間は結局のところ大地の上で暮らしているため、高低差のような地理的要素がすごく重要です。現代は山や岩を切り開いてニュータウンをつくる土木技術が発達しましたが、昔からのまちは風土や地理と密接に関係しながらまちづくりをしてきたため、まちの成り立ちが地質や地層とリンクしています。
観光はどちらかと言うと外から人を呼ぶ発想が強いのですが、インバウンドみたいなことをやればやるほど、自分たちのまちではなくなっていくと僕は提唱してきました。外国から様々な人が来てくれるのはありがたいですけど、インバウンドには結局は儲かるからという目的が根底にある。何万人、何十万人、何百万人というふうに集客数を増やしたくて、わかりやすいパッケージングをして、まちを切り売りしていく。奈良だと「大仏と鹿」みたいな。わかりやすい球を投げる方が届くだろうと考えて、いろいろなものを削ぎ落としてしまうんですね。
それはいかがなものかと僕は思っていたから、人が歩かないところを歩いて、そんなところにも歴史や文化、物語があるのだと発見することをちゃんとやりたい。そういうことは外国の人には届かないし、わからないかもしれない。では、誰に届けたいかというと、地元の人。地元の人が自分のまちを歩いて、歴史や文化、物語を知り、アイデンティティや愛郷心を育む。そういう地産地消の観光を、コミュニティツーリズムと言います。
コミュニティビジネスの分野では、地のものを食べるスローフードとかスローライフとかがありますが、自分の手の届く範囲でやっていくことが大事だよという運動は世界中にある。
そのような風潮の中で観光でもスローツーリズムが唱えられ始めていますが、日本でプロフェッショナルとして実践している人はあまりいない。だから僕はプロデューサーとして、そういうのが大事だと唱えて活動し続けています。まずは地の良さみたいなものを地元の皆が知って、そこからまちを良くしていく。それは全国どこのまちでもできるし、やるべきだと思っています。
僕は子どもの頃から古墳やお寺が好きで、よく巡り歩いていました。今日のまち歩きでも話題に上がりましたが、お寺の山号や寺号にも歴史や物語があって面白い。お寺や神社は「氏寺さま」「氏神さま」と呼ばれて、昔はまちや村の鎮守として中枢にあり、集落の性格がよく表れています。お稲荷さんを祀っているまちもあれば、春日さん、住吉さんを祀っているまちもある。住吉さんなら船関係や流通に携わっていたとか、春日さんなら氏神の藤原氏にまつわる歴史や物語があるとか。氏寺や氏神に着目すると、まちの何かがわかってくる。つまり、それはまちのリテラシーみたいなものですが、まちの地脈や歴史性を読みとる力は、いろいろなまちを歩くと自然に身に付いてくる。でも、我々はまちを歩くということを教えられたことがなく、まちをあまり歩かなくなってきているので、その力を育むのが難しくなっています。
僕はいろいろなまちで仕事をしていますが、まず何より逍遥することが大事です。逍遥とは、目的も意味もなくぶらぶら歩くこと。散歩やそぞろ歩き、気ままにあちこち歩き回ることです。近代人はこれが苦手で、実は我々はこれをしていない。我々はどうしてもまちを歩くとなると、事前に情報を集めて、目的を目指して歩く。そうなると目的しか見えなくなる。ふらふら逍遥することでふと気づくもの、こんなところにこんな道や物があるのかという発見は、無目的に歩かないとできない。今日訪れた開化天皇陵も同じで、通勤路や通学路として三条通りをいつも歩いていても、中に入ったことがないですよね。
もっと言えば、歩かなくてもよい。無駄に止まってください。まち歩きというと歩くことを考えますが、「歩」という字は、少し止まると書きます。今日のまち歩きでも、JR奈良駅から大学まで本来なら二十分で歩けますが、立ち止まって喋ったり見たり触ったりすると二時間はかかる。それがまち歩きです。歩くというのは止まるということ。普段の通勤路や通学路でも、ふらふらしたり止まったりすると段々と見えてくる。そういうことが僕のまちリテラシーを育てたのではと思います。
事前の情報や目的があってそこへ向かって出会うものには、それほどの衝撃はないですよね。無駄に逍遥しているとなんか出会ってしまった、というのが一番の衝撃です。これを英語で「セレンディピティ」と言います。『セレンディップの三人の王子』という絵本がありますが、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見したりすること。つまり、何かを探している時に、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。目的的ではないから、とんでもない出会いになる。いつ出会えるかもわからず、セレンディピティは計画できません。我々はどうしても効率的に能率良く有効な情報にアクセスしたがりますが、そうすればするほどセレンディピティを失うことになります。
例えば本を買う時を想像してみましょう。アマゾンなどのネット通販は便利ですね。この本を買った人はこの本も買っています、というナビゲートが出てくる。悔しいことに、すごく欲しい本が出てくる。あれはアルゴリズムで計算されたマーケティング戦略で、Aの本を購入した人たちがアルゴリズムで計算するとBという本をよく買っていることがわかり、だからあなたもそういう人間でしょと型にはめられる。資本主義の罠とかエコーチェンバー現象とか言われますが、どんどんその世界観から逃れられなくなります。
SNSをしていると気づきますが、自分用にカスタマイズされている。インターネットやホームページも、自分がよく見ているページや書いている記事などでキーワード検索をかけて、勝手に自分の世界観をすくいとって、自分が好きそうな広告や投稿を出してくる。フィルターバブルでアルゴリズムされているため、SNSでいろいろな友達がいても、同じような人ばかりが出てくるんです。自分にとって心地良い同じ意見しか出てこなくて、どんどんタコツボ化していく。自分とは異なるものとの想定外の出会いが起こらないような構造ができている。そのようなフィルターバブルに守られることで、他者に対する想像力が弱まり、世界の断絶が深まっていくように思います。
そうならないように、一番良いのは、何の目的もなくふらふらと、こんなところに本屋があるのかと入ってみる。何となく見ていたら、「あれ、何この本は」みたいな出会いが発生する。今は本屋でも図書館でも検索機や端末機があって、作者の名前やタイトルを入力すると、どこそこのAの28の棚ですと教えてくれるので、偶然性が生じる隙がありません。
すごく効率的で能率的、素早く有効なものと出会えると思ってしまいますが、それが逆に自分の可能性を狭めている。そういう情報社会に我々は突入しているんです。それを打破するためには、無意味な行動をしないといけない。
つまり、やはり逍遥しないといけないんですよ。そして、逍遥の一つとしてまち歩きがある。まちというのは整備されていないから、いろいろな歴史や文化が転がっていて、歩いていると「何やこれ」みたいなものに出会う。それは、謎かもしれないし、ミステリーかもわからない、文献も残っていない。今日、市営住宅に囲まれた端っこでお地蔵さんがたくさん集められているのを見ましたが、あれは奈良の観光の本には載っていません。あれを見つけて直感で「これは街道沿いだったのだ」と閃くのは、よほどのまちリテラシーです。
どんな本にも載っていないけど、でもわかる。そういうのが一番大事だと思います。
これまで私は、芸術祭やアートプロジェクトで、アーティストが地域に介入し、住民と関わることが地域アイデンティティの確立につながるという事例について学んできた。そして今回のまち歩きに参加して、「コミュニティツーリズム=地産地消の観光」も、それと同じ効果があると感じた。陸奥先生の視点には、アーティストが物事を見る視点と通じる部分があると思う。普段は見落としがちな風景や、目も向けない道、場所、袋小路。陸奥先生にガイドしていただき、自分が通う大学周辺を改めて歩いてみて、馴染みのある風景の解像度が上がったように感じた。私は春から全く見知らぬまちへ引っ越すが、それまでにまだ知らない奈良にもっと出会いたいと思った。新しいまちに行っても、積極的に立ち止まってみよう。(櫻井莉菜)
まち歩きの集合場所だったJR 奈良駅前に、ひっそりと立つ道標。そこには「平城宮太極殿是より西乾二十丁」「明治四十三年棚田嘉十郎建立」と刻まれている。平城宮跡保存活動の先覚者だった棚田嘉十郎氏のエピソードを聞き、その功績とは釣り合わない悲しい結末を憂いた。奈良県立大学近く、かつて芝辻村と呼ばれたエリア。まちと村のはざまで、土地・風土に根差したアジールならではの営みについて聞き、そこでの人々の暮らしぶりが頭の中で膨らんだ。まち歩きを通して、私たちが歴史の上を歩き続けていることを実感すると共に、陸奥先生が大切にされている「逍遥」「セレンディピティ」という思想に触れることができた。(山本篤子)
陸奥さんの案内で巡る今回のまち歩きは、歴史を知ることでまちの見方が変わるということがよくわかる体験だった。歴史は一つの見方なので、まちを面白がる方法はいろいろある。実際にそうやって陸奥さんは「大阪あそ歩」や「大阪七墓巡り復活プロジェクト」などタイトル(視点)をつくって、まちを使って遊んでいる達人なのだと思う。ただ、これは陸奥さんにしかできないことではなくて、例えば同じ場所に暮らす人たちのまちの使い方を共有するだけでも、おそらく知らなかった、見ていなかったものがいろいろ見えてくるということだと思う。単純な例でいうと子どもの視点とか、車椅子で生活する人の視点とか、スケボーをする人の視点とか、ホームレスの視点とか、毎日飲み歩いている人の視点とかで、まちを見る視点や解像度はそれぞれあり、そういった他者の視点を共有するだけでもおそらくツアーになる。
あるいは、写真家の下道基行さんの「見えない風景」というワークショップを思い出す。路上観察と散歩とスナップを混ぜたような、でもカメラを使わない写真的体験をテーマに、各参加者は言葉の地図を制作し、最後に皆で交換することで、視覚の交換がそこで生まれてくる、というもの。下道さんの言葉を引用する。「まちの中に生まれては消えて行く存在に、愛おしさや形や関係性のおもしろさを<発見する>というのが第一にあるんです。(中略)さらに、ワークショップでそれをやるってことの意味としては、それは実は僕だけが発見できるものではなくて、コツさえを共有すれば、もしかしたら、参加者が僕なんかよりもおもしろいものを発見できるかもしれないし、より複数の視点で探した方が楽しいという思いがあるんです」(https://liverary-mag.com/feature/44083.html/3)。
歴史や他者の視点に加えて、愛おしさや形や関係性のおもしろさを知覚する感覚を合わせもつことができれば、まちはすごく面白い遊び場になる。
LECTURE OUTLINE
陸奥賢
2020年11月8日(日) 14:00–17:00
※⾬天決⾏
「大阪あそ歩」の元プロデューサーで、現在も「大阪七墓巡り復活プロジェクト」や「大阪モダン寺巡礼」など、独自の視点で数多くのまち歩きの企画を行いながら、観光・メディア・アート・まちづくり等の多様な分野でのプロデュースを手がける陸奥賢さんを迎え、実際に奈良のまちを歩きながら、土地やあらゆる物事のコンテクストを読み解くための方法について学びます。
1978年大阪府生まれ、同在住。ライター、放送作家、リサーチャー等を経験後、「物事の見方が変わる意外な体験」と「観光を広く定義する視点」から生まれる様々な企画を実施。「まわしよみ新聞」「当事者研究スゴロク」「直観讀みブックマーカー」などを考案している。