REPORTS
- レクチャー
「芸術祭『MIND TRAIL』が奥大和にもたらす可能性」
齋藤精一
2021年8月28日(土) 14:00–16:00
CHISOU lab.
Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)
REPORTS
2021年8月28日(土) 14:00–16:00
CHISOU lab.
Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)
行政や企業と国内外でプロジェクトを企画制作してきたクリエイティブディレクターの齋藤精一さんから、奈良の奥大和エリアを舞台にした芸術祭「MIND TRAIL」など、「感覚」をテーマに手がけてきたプロジェクトについて話を伺いました。世の中の価値観の変遷、アートと経済の関係性、社会におけるアートの意義など、これからの時代にアートをプロデュースする上で熟考すべき様々なことについて話題はどんどん広がり、受講者とのディスカッションが活発に行われました。
CONTENTS
「感覚」は、僕自身も創作を考える上で根源にあるテーマです。商業的な作品、すなわちクライアントの依頼を受けてつくる作品もあれば、行政と一緒につくる作品も多くあります。もともとは東京理科大学とコロンビア大学で建築を学んだ後、ニューヨークの建築事務所で働き、自分で事務所を開いていた時もあります。その時、9.11が起こりまして、建築の仕事自体がほぼ全米で全てストップしました。グラウンドゼロと呼ばれる場所に誰が建築を建てるかという話になり、驚いて建築業界を残念に思い、業界を一度離れました。その後、もう少し社会や経済と地続きの広告の分野に入り、ニューヨークの広告代理店で働きました。
しかし、大量消費を促すものをつくっていることに疑問を抱き、美術作家として作家活動を始め、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」に作家として参加したりしました。2001年に真鍋大度と共にライゾマティクスという活動を始め、2006年に同名の会社を立ち上げましたが、メディアアートという分野が芸術の領域になかなか入っていないという問題意識がありました。フリーランスのアーティストだと食いっぱぐれてしまうのなら、自分たちでお金を稼ぎながら作品をつくり続けられるエコシステムをつくれないかと思い、アーティストが集まってつくった会社です。作品をつくりながらも、クライアントからコミッションワークを請け負うようなチームです。
ライゾマティクスは2016年に組織改革をして、リサーチ・デザイン・アーキテクチャーの3部門に編成されました。アーキテクトではなくてアーキテクチャーにしたのは、構造をつくりたいという思いがあったからです。建築的な構造のみならず、社会構造やチーム体制などにも興味があり、アーキテクチャーという名前を付けました。昨年末には組織変更してパノラマティクスというチームを立ち上げました。
色々なクライアントと付き合うなかで、アートやデザイン、建築、まちづくり、ソーシャルデザインなど、業界的に近しい分野がなぜ分断しているのかについて疑問を感じていました。Rhizome(リゾーム)はもともと超複雑系構造(根っこや地下茎のようなもの)を意味しますが、ライゾマティクスは、異なる分野をどんどんつないでいく存在としてつくりました。異なる業界をどのようにつないでいくか、つなぐことにより、文化という形で昇華させることができないかと考えています。分野を横断し共に考えて実装し、社会に還元することが僕の大きな役割だと思っています。
2009年から全体を統括する、いわゆるクリエイティブディレクターの仕事が増え、広告代理店とも対等に渡り合いながら、お金の管理をしつつ直接クライアントに営業する仕事をするようになりました。それと同時並行でライゾマティクスとしては色々な作品をつくっていました。2011年頃から、広告する商品の考え自体が間違えていると、クライアントに意見するようになり、自分たちが設計図を書く立場になりたいと思ったところもあって、広告のプランニングもしていくようになりました。より上の立場になるというよりは、責任をしっかり担いながらつくるという方向にシフトしていきます。
例えば、企業と話し合うなかで、誰も使ったことのない場所でファッションショーや新車発表会を行いたいとなっても、法律や条例が理由でできないとなる。どのような条例があり、なぜできないのか、という会話を自治体としていくと、条例自体が表現に対して開かれていないことがわかってくる。議員と法律について議論したり、自治体に規制緩和をするように働きかけたりして、市町村の首長と仕事をすることが多くなりました。パノラマティクスへと変革してからは、ソーシャルワークショップや万博など行政への提案が増えています。この流れは、コロナ禍で立ち上がった奈良県奥大和エリアでの芸術祭「MIND TRAIL」にもつながっていきます。
世の中の価値観は移り変わり続けていきます。例えば、戦後のモノがない時代には、モノの豊かさが求められながら復興が進み、1964年の東京オリンピックがその象徴にもなり、その後、心の豊かさが求められるようになりました。さらに、コトや文化の豊かさが求められ、1970年に大阪万博が開かれてバブルが訪れ、新しいスタイルやファッション、アート活動が生まれ、表現の場所が生まれたのが80年代でした。2000年代からはソーシャルという言葉を聞くことが増え、社会の豊かさを謳うようになった。広告業界でも単に商品が安ければ良いということではなく、いかに社会性を持っているかが語られるようになってきました。2020年頃から言われるようになったのが、人の豊かさです。SDGsもその考え方から出てきたものだと思います。2020年3月に新型コロナウイルス感染症の問題が起きてからは命の豊かさではないかと僕は感じています。人の命だけではなく、生物や環境、モノの命も含めて考えていかなければならない。
世界の仕組みや哲学は変わり続けています。SDGsは国連に加盟する国々が賛同し、それを目指して協働していますし、大阪関西万博もそれをテーマに定めて進めている。世界的な問題に群として立ち向かっていこうという時代になりました。2000年代後半からプラネタリー・バウンダリー(地球の限界)について、2020年頃からはアントロポセン(人新世)について言及されることが増えています。
もう一つの新しい価値観として移住があります。都市集中型ではなくて地方分散型になろうとしている。SDGsの話にしても、このまま気温が上昇し続けるのか、我々は分岐点に立っていて、いかに一人ひとりのマインドセットが変わり、人の営みに反映されていくのかが問われている。2020年に新型コロナウイルスが世界を襲って以降、多くの方程式が崩れたと思っています。今までならこの方法で商品が売れたとか、人はこんな住み方をするとか、そんなことの多くは全て崩れ去り、再構築する時期が来ていると肌で感じています。
全体的な傾向を見ていると、SNSでの発信もそうですが、コロナ禍で最初にアクションを取り始めたのはアーティストの方々です。アーティストは作品をつくるだけではなく、人間はこうあるべきではないか、こう変えていくべきではないかという、哲学を提示してきました。次に反応したのがクリエイティブの人たち。例えば、手を洗うポスターを制作したり、映像をつくったり、閉館した美術館をこのような形なら開けることができるのではないかと課題解決する。産業界がすごく遅かったように僕は思っています。この構造自体がすごく象徴的で、どの時代でも起きているのではと考えています。
「MIND TRAIL」を企画するコロナ禍より前に、人間の感覚に焦点を当てた芸術祭「Sense Island」を実施しました。会場は横須賀にある猿島という無人島で、陸から1.5キロほど離れており、フェリーで10分くらいの場所にあります。東京湾で唯一の自然島と言われています。社会の様々な動向の中で価値観が変わっていく今、人間は感覚についてもう一度考えなければならない、そして、自分自身が生物的に世界をもう一度知る必要があるという思いからつくったアートイベントです。
当初は行政の担当者から「ライトアップをしたい」という相談を受けたのですが、京都の神社仏閣が色々な形でライトアップされているのが生理的に受けつけず……やはり本来あるべき姿で見たい。そこで、真っ暗にすることを提案しました。そうすることで、最終的には人間の感覚をアップデートするようなイベントにしたいと考えました。
「MIND TRAIL」を企画する奈良県の方々も訪れ、非常に感銘を受けたとのことでした。芸術祭がスタンプラリー化しているという問題意識があり、インスタ映えも大事ですが、順々に作品の写真を撮って回るものになってしまっている。本来は作品と作品の間にある風景や人、食べ物こそ大事です。基本的に猿島では、携帯電話のライトも通話もネット検索も全部手放し、暗闇の中で感覚を研ぎ澄ます体験をしてもらうことを、行政主導で2019年に開催しました。主催は横須賀市都市魅力創造発進実行委員会で、文化庁の日本博の助成金も一部ありますが、ほぼ全て横須賀市の税金で賄っています。自分たちで責任を持って実施しないと継続していきませんので、できるだけ他のスポンサーを入れずに実施することを意識し、まずは自分たちの財源だけで実施することを市長に推奨し、実装していきました。
哲学の一歩手前ぐらいの内容だったので、どのように受け取られるのか不安もありましたが、非常に多くの方々に受け入れてもらえました。芸術祭では地元の人々との協働が大切です。最初は横須賀市民向けのチケットはあまり売れませんでしたが、都心部からどんどん人が来て「私たちも行きたい」となり、最終的には横須賀市民も多く訪れるイベントになりました。
2020年にコロナ禍で奈良県から「地域の観光を止めない方法はありますか」という相談を受け、真っ先に提案したのが「MIND TRAIL」でした。これからは哲学の時代になると思い、自然と人をつなぐ媒介として芸術が使えないか、芸術を再定義できないかと考えました。様々なアートイベントが中止や延期、オンライン化するなかで、多くのアーティスト活動の機会が失われました。コロナ禍という未曽有の危機に直面してアーティストが真っ先に反応したこともあり、彼ら彼女らの活動エネルギーを表現する場所をつくりたいと思いました。
奥大和エリアでの観光事業でしたので、まずは「歩く」ことを考えました。僕は葉山という海岸部のまちの比較的郊外に住んでいますが、家の中にずっと居るのは精神的に辛くて歩き始めました。歩いていると、「今日は満月だ」とか「金木犀の香りがする」とか「こんな場所に道祖神がいる」とかたくさんの発見がある。吉野であれば、修験道や金峯山寺、千本桜など色々な歴史があるエリアを、違うマインドで歩いてみたいと思いました。5月に相談を受けてからすぐに構想をまとめ、補正予算が決まると同時に並行して企画を進めていきましたが、予算については横須賀市と同様、全て奈良県の予算で賄っています。
奥大和は奈良県の中部から南部に位置する19市町村を含むエリアで、僕としては実はここには日本独自のサーキュラーエコノミーが存在しているのではないかと思っている魅力的な地域です。コロナ禍での開催のため、基本的には屋外展示にして、密な状況つくらないようにしました。また、我々の強みであるICTやデジタルを活用し、電波やGPSが入らないような場所でも歩きながらマップを見られるようにしました。
実施エリアは吉野町、曽爾村、天川村ですが、それぞれ特性が異なります。曽爾村は屏風岩や兜岩が有名で、縄文の時代から繁栄した土地でもあり「地」をテーマにし、清流で名高い天川村は「水」、吉野は「森」がテーマです。短くて3時間から5時間、長くて8時間ほど歩くルートを設定しています。親しい友人が昨年、「作品がない」という感想を述べていましたが、気が急くと作品がなかなか入ってこない。僕自身も美術館に行くとバーっと見てしまうタイプなので反省したのですが、「MIND TRAIL」では立ち止まって、キャプションや風景を見て、食べ物を口にする。そうすると後半になるに連れて、どれが作品かだんだんわからなくなる。吉野は山全体が世界遺産ですので、倒木に生えている苔や景色が作品に見えたり、人間の創作物なのか自然なのか、わからなくなったりする感覚が表現されていたと思います。
僕がアーティストに一つだけ話したのは、「自然に勝とうとせず、自然を覆うことをせず、自然の美しさ、生命、尊さ、怖さなど様々な感情を、人間がつくる作品というレンズを通して呼び起こすような感覚で、作品を考え、自然の中に慎重に置いてほしい」ということ。僕もそうなのですが、作品をつくる時にどうしても何かを主張したくなるけど、自然とのインプロヴィゼーションを楽しんでほしい。実際は環境省や文化庁の管轄なので、どこにでも作品が置けるわけではなく。そういう意味でも慎重に置いていくことが大事だと思いました。
今秋も同じ哲学を胸に「MIND TRAIL」を開催します。僕は全体のプロデューサーとして、行政や地元の人、商店街、観光協会と調整するまとめ役をしながら企画を進めています。吉野エリアのキュレーターは西尾美也さん、天川エリアは菊池宏子さん、曽爾エリアは西岡潔さんが担っています。『ソトコト』編集長の指出一正さんには、エリア横断キュレーターをお願いしています。昨年は自分たちで交渉し、お金のやりとりもして実装していたのですが、今年は満を辞してエリアごとにキュレーターを置いています。
答えのない時代に「MIND TRAIL」をつくった意図についてですが、これからは時代の鏡として芸術をさらにつくり続ける必要があると思ったからです。芸術は今を追うのではなく、先に何があるのかを問われるようになっていると思います。
これまで日本では文化にあまり投資をしてきませんでした。文化は補修保全するものとして捉えられ、新しい文化の発掘をしてこなかった。これからは、経済と文化の両輪で考えながら日本は発展していく必要があります。そういう意味で、芸術祭をつくる時には、経済効果までいかないとしても、地元の人とのつながりをどのように高められるのかが大事になってくる。それが最終的に経済発展になる場合と、文化発展につながる場合がある。経済系の人は文化の勉強を、文化系の人は経済の勉強をする必要がある時代になっています。文化はつくろうと思ってつくれるものではないので、地域から文化をつくっていく必要があります。
もう一つ、今日は感覚がテーマですのでお伝えしたいのが、もっと自分の感覚を信じること。経済の話をしましたが、全てが数値化できる訳ではない。数字的な指標ではなく、ウェルネスやエモーションで社会を見る必要があります。コロナ禍で方程式が崩れたのであれば自分でつくっていかなければならない。どのようなビジョンを持って、時代を、地域を、芸術祭をどのようにしていきたいのか。そのためには感覚を信じること。最初に取り組みを始める発注側の人は、依頼する相手の感覚をできるだけ信じることをしなければ進まないと思います。
コロナと共にあるこの時代に、芸術祭とはどうあるべきかを考え直す必要があります。僕の感覚を実装する機会を与えてくれた「MIND TRAIL」は社会実験であり、地域創生プロジェクトであり、アートと地域、社会と時代を結ぶ試みだと思っています。かつてアーティストたちは社会なんて関係なく、こういうものをつくりたいという個人的な思いで作品をつくっていました。つくりたいものと社会がつながることによって、アートの定義も変わってくると思います。
今日はレクチャー形式でお話を聞いていただいていますが、やはり何らかのアクションを起こすことが非常に大事です。例えば、アーティストの手伝いをしてみたり、SNSで何か発信してみたりとか。全体的にシンキングの段階で終わってしまうことが多くあると思います。デザインシンキングをネガティブに捉えているわけではないですが、シンキングばかりしていても、アクションを起こさないと次につながらない。コロナで方程式が崩れ、哲学的な問いが多い今だからこそ、アクションをどんどん起こして、文脈をつくっていかなければなりません。
「社会やものづくりが分断されている今、異なるメディアの地下茎をつなぐことによって、生みだせるものや文化として昇華できるものがあるのでは」といった、齋藤さんの提言・視点が興味深いレクチャーだった。「社会との接点がないと存在意義が認められにくく、距離感がわからないとオーダーしづらい/されづらい」という考えは、自分自身思うところがあり共感した。その考えを根底に抱きつつ、どのような思考・方法で様々な人や社会と関わっているのか、齋藤さんの視点をできる限り吸収したいと思いながらレクチャーを受講した。人によってアートの捉え方が異なるなか、どのように自分の中でアートを捉えたら良いかの落とし所を考えている。今回、齋藤さんの視点を知れたことは、自分の思考の補助線になった気がする。(中川なつみ)
物事を二分し対比して考えることは分かりやすく、これは誰もが経験する。しかし、今後は「分けて考えられた要素をつないでいく行為」がとても大切だと受け止めた。コロナ禍においては、生き方や暮らしの多くについて、テレワークが良いのか対面が良いのかなど、皆が考えさせられたと思う。どちらの考えにも寄らず、対立させるものでもない。両者の考えをしっかりと身に付け、場面ごとで活用していく。漢詩の中に「中庸」という詩がある。「勇力の男児は勇力に倒れ、文明の才子は文明に酔う。権力者は権力に溺れ、文明の利器に頼りすぎる者は、文明の利器が登場する以前からある物の良さを忘れ無味乾燥な人間となる」。その後に「中庸であるべき」と説くが、物事に向き合う際に、中道的な見方をするのでもなく、両者を身に付け、他分野も取り入れ、捉えていく。現代社会においては、様々に対比する場面があるが、私たちが企画する「地奏」の「感覚と知性」、そしてアートマネジメントを通じて学ぶ「多様な視点を身に付け、多様な現代社会を生きる」というテーマに、特に大切なレクチャーだと感じた。(平田孝文)
LECTURE OUTLINE
齋藤精一
2021年8月28日(土) 14:00–16:00
クリエイティブディレクターの齋藤精一さんから、奈良の奥大和エリアを舞台にした芸術祭「MIND TRAIL」など、「感覚」をテーマに手がけてこられたプロジェクトの数々についてお話を伺いました。この回は、アートと経済の関係性、アートが持つ力など、話題はどんどん広がり、リアルとオンラインの受講者から質問が相次ぎました。
1975年神奈川県生まれ。建築デザインをコロンビア大学建築学科(MSAAD)で学び、2000年からニューヨークで活動を開始。フリーランスとして活動後、2006年株式会社ライゾマティクス(現:株式会社アブストラクトエンジン)を設立。社内アーキテクチャー部門「パノラマティクス」を主宰。行政や企業などの企画や実装アドバイザーも数多く行う。