REPORTS
- レクチャー
「時間と香り」西山厚
2021年7月31日(土)
奈良県立大学 CHISOU lab.(オンライン配信あり)
Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)
REPORTS
2021年7月31日(土)
奈良県立大学 CHISOU lab.(オンライン配信あり)
Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)
奈良と仏教をメインテーマに、人物に焦点をあてながら、様々なメディアで生きた言葉で語り書く活動を続けている西山厚さんから、「時間と香り」について話を伺いました。「時をかける少女」から始まり、『宇治拾遺物語』、蘭奢待、果てはキャベツまで、様々な時代とジャンルを跳躍する西山さんの刺激的な話題に、山城さんと受講者から質問が相次ぎました。「香りは、人や場所、出来事と共に記憶され蓄積されるもの」など、その後のプロジェクトの鍵を握る重要な観点について多くの学びを得られました。
CONTENTS
「時間と香り」というお題を聞いた時、「時をかける少女」という映画が思い浮かびました。1983年に初めて映画化された後、何度も映画化やアニメ化、テレビドラマ化されてきましたので、ご覧になった方もいるのではないでしょうか。最初の映画は、筒井康隆によるSF小説を、大林宣彦監督が映画化した青春ファンタジーでした。高校生の芳山和子は学校の実験室で白い煙と共に立ち上ったラベンダーの香りを嗅いだ瞬間、意識を失い倒れてしまう。それ以来、時間を移動できるタイムトラベラーになってしまい、不思議な現象に悩まされるようになる。ラベンダーの香りを嗅いだことによって、時間を移動できる能力を、別に欲しくないのに、彼女は獲得してしまった。まさに「時間と香り」の深い関係性をみることができます。
香りは、人や場所、出来事などと共に記憶され蓄積されていくという特徴があります。香りだけが単独で記憶されることはほとんどなく、香りと共に記憶は定着するという言い方ができるかもしれません。逆に、思い出す時は香りと共に蘇ることになるでしょう。例えば、30年前に好きだった人の香り、その人自身の香りかもしれないし香水の香りかもしれませんが、30年後に同じ香りを嗅いだ瞬間、30年前の彼女のことを思い出す。時間と香りには深い関わりがあります。
「かおり」は漢字で書くと「香」「薫」「芳」という3通りの書き方があります。「時をかける少女」で主人公の名前が芳山和子でしたが、「芳」という字が名字に含まれているのは、おそらく偶然ではないと思います。「嫌な香り」とは書かないように、「香」は良い香りの時に使うことが多い。良くない場合に使うのが、「嗅覚を刺激するもの」という意味での「におい」。良い場合には「匂い」と書いて、嫌な場合には「臭い」と書くように、使い分けることが多いですね。
私たちには外の世界を認識していくための五感が備わっています。『新明解国語辞典』によると、五感によって得られる充足感のことを「官能」といいます。「官能」は、官能小説のように少しエッチな意味でよく使われますが、性的なことはまさに五感で得られる充足感の代表です。ただ、そういう方面ばかりではなく、満足感、喜びを、全て官能といいます。
10年前に私は『官能仏教』という本を出しました。仏教の教えによって救われると言っても、例えば、お釈迦様と同じことを嫌な人に言われても説得力がないし、救われもしない。お釈迦様の語る内容だけでなく、お釈迦様がどういう姿で、どういう顔立ちで、どんな声で、どんなふうに喋るか。あるいは、もう少し近づいたら匂いもしたかもしれない。あるいは、体に少し触れた時の感触など、そういうものが相まって、人は安らいだり、癒やされたり、救われたりするというようなことをテーマにした本です。その五感の中でも、匂いを嗅ぐことが最も原始的で根源的だと思います。
人間の身体の匂いは変化します。例えば、犬好きな人は犬に吠えられないのに、犬嫌いの人はよく吠えられる。犬嫌いの人は犬を見ると緊張して、犬が嫌いな臭いを出すからです。また、外国でいつもとは違う物を食べていると、身体の匂いが変わってくることもある。疲れている時、熱がある時、緊張した時、色々な時に、一瞬で体臭は変化します。香水は、付ける人の体臭と掛け合わされるため、付ける人によって匂いが違います。人によって、一瞬一瞬、違う香りが無限に生まれているのです。
丁子、麝香、零陵香、甘松香、桂皮という五つを調合した体身香を飲み続けると、5日経ったら身体から良い香りがしてくると言われています。10日目には着た服にも良い香りが移る。25日経つと手や顔を洗った水までも芳しくなり、1カ月後には抱っこした赤ん坊もその香りになる。そうなると排泄物まで良い匂いになる。
鎌倉時代の『宇治拾遺物語』にもそんな話があります。ある女の人を好きになったけれど、叶わない恋だった。彼女の排泄物を見たら、幻滅して好きな気持ちがなくなるだろうと思ってこっそり見たら、それが何とも良い香りだったので、余計におかしくなってしまったという話。これも体身香ですね。
話が変わりますが、キャベツはコナガの幼虫に食べられた時に出す匂いで、コナガの天敵のコナガマユバチを呼び、飛んできたコナガコマユバチがコナガの幼虫を食べてくれる。モンシロチョウの幼虫に食べられた時には、また違う匂いを出して、天敵の蜂を呼ぶ。自分を食べる虫の種類によって違う匂いを出して、それぞれの虫の天敵を呼ぶのです。そんなふうに世界は色々な生き物が匂いを出しながら暮らしています。
国宝である東大寺の誕生仏は、お釈迦様が生まれてすぐに立って、歩き、右手を上げて「天上天下唯我独尊」と言った様子を表わしています。これを誕生仏といいます。お釈迦様の誕生日は4月8日で、各地のお寺に誕生仏が置かれ、甘茶をかける行事がありますが、もともとは香湯という良い香りの湯をかけていました。「浴像功徳経」によると、香湯に入れる香りは、牛頭梅檀、紫檀、多摩羅香、甘松香、芎窮香、白檀、鬱金香、竜脳香、沈香、麝香、丁子香などです。
また、弁才天をご本尊としてお祈りする場合は、32種類のお香を湯に入れるそうです。菖蒲、牛黄、麝香、雄黄、桂皮、沈香、梅檀、零陵香、丁子、鬱金、甘松、藿香、安息香、芥子、青木などです。この場合は、お坊さんがお風呂で身体を浄め、弁才天にお祈りをする。そうすると弁才天がどんな病気も治してくれて、どんな苦しみも鎮めてくれて、たくさんの福徳をくれると「金光明最勝王経」に書かれています。
「維摩経」によると、衆香国には香積仏という仏様がいて、言葉によらず香りによって人々に教えを説きます。まるでアロマテラピーのようです。アロマテラピーとは、精油、または精油の良い香りや、植物に由来する良い香りを用いて、病気や外傷の治療、病気の予防、心身の健康、リラクゼーション、ストレスの解消などを目的とする療法を指します。「維摩経」に書かれていることも、香りによって人々が幸せになるという点で同じです。現代では、香りによるストレスの解消がしきりに試みられていますが、同時に無臭化への方向性も強まり、強い臭いが敬遠されるようになって、香りの活用と無臭化という両極が強まっています。
奈良時代に日本で2番目に大きな寺だった西大寺は、だんだん衰退しましたが、鎌倉時代に叡尊というお坊さんが復興しました。今も西大寺には五輪塔の形をした叡尊の墓があり、墓前には香華燈と言われる三つの物がお供えできるようになっています。三つの物とは、お香とお花と明かりで、仏様が喜ぶものです。お葬式や法事では焼香をしますが、亡くなった人もお香が好きです。お葬式では花もたくさん飾られ、蠟燭などの明かりも立てられ、香華燈が供えられていることがわかります。
お香を焚いて仏や死者を拝むのが焼香です。たいてい沈香や白檀という香木の粉末をベースにしていますが、日本香堂というお香の会社のホームページを見ていると、ラベンダーのお香がありました。ラベンダーの香りを嗅ぐとタイムトラベラーになってしまうかもしれませんから気をつけないといけませんね。
焼香に加えて塗香もあります。法会や写経などの前にお香を手や身体に塗ることですが、掌に少し付けてこすると、香りが体に付いて消えません。その日の夜になっても消えないほどです。塗香によって身体や心が浄められた状態で、法会に参列したり、写経をしたりします。
密教には両界曼荼羅という絵があります。胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅のことで、仏様がぎっしりと描かれています。密教には、言葉ではなく絵でこそ深い教えが伝えられるという考え方があるため、絵を描くことが盛んで、国宝や重要文化財がたくさん残っています。金剛界曼荼羅の中央に描かれた成身会と言われるところに、密教世界で最も大事な大日如来がいらっしゃいます。その周囲には金剛焼香菩薩、金剛塗香菩薩、金剛華菩薩、金剛燈菩薩が表わされています。香華燈の供養を担当する仏様たちです。焼香と塗香は全く別の行為ということなのでしょうね。
正倉院の建物の中は三つの部屋に分かれています。真ん中の扉から中に入って右に進もうとしても壁があって進めない。右に入りたければ外に出て、また右の扉から入り直す必要がある。それぞれの部屋は北倉、中倉、南倉と呼ばれています。
奈良時代に東大寺と大仏をつくった聖武天皇が亡くなった時、聖武天皇が大事にしていた物を、光明皇后は一つ残らず大仏に献納し、それらは北倉に納められて今日まで伝えられてきました。奈良国立博物館では毎年、正倉院展が開催されますが、正倉院の宝物全部が聖武天皇が大事にしていた物だと勘違いしている人も少なくありません。三つの倉のうち北倉にだけ、聖武天皇が大事にしていた物が入っており、南倉には東大寺の宝物、中倉には光明皇后以外の人が大仏や東大寺に献納した品々が入っています。
北倉の中に、長さが105.5cm。重さが16.65kgの全浅香という大きな香木があります。奈良時代の説明書きを読むと、大仏ができた翌年の753年に国家を護る法要を行うために大仏に献納したものであることがわかります。
光明皇后は様々な品々を大仏様に献納した時に、それらの品々の目録をつくりました。そこには、光明皇后が書いた楽毅論や、聖武天皇が書いた雑集など4巻の書の名も記されていますが、4巻を納めた箱には裛衣香が入っていました。裛衣香は様々なお香を紙で包んだもので、防虫香として用いるものです。
また、中国五千年の歴史におけるナンバー1の書家である王羲之の書20巻のことも記されており、それらを入れている箱にも、やはり裛衣香が入っていました。正倉院に裛衣香として残っているのは、零陵香、藿香、沈香、丁子香、甘松香、白檀などを紙に包んだものです。ちなみに、正倉院の宝物はほとんど虫に食べられていません。絹などは時間と共に劣化して粉末化していきますが、虫食いは本当にない。裛衣香の力もあったのではないでしょうか。
現代でも正倉院事務所は、沈香12g、丁子香60g、白檀35g、甘松香17gを紙に包んで、裛衣香をつくっています。防虫のためばかりではなく、例えば、宝物を運ぶ際に、周りに裛衣香を置き、宝物が動いたり倒れたりしないようにする、そんな用途もあります。
法隆寺資財帳には、法隆寺の資財の全て、つまり建物や仏像、所有する土地など、何から何まで書かれていて、奈良時代に法隆寺がどのような物を持っていたかがわかります。その中にお香もたくさん登場しています。例えば、薫陸香、これはクレオパトラが大好きだった乳香です。甲香というタニシの貝殻を焼いた粉末もありました。それ自体は臭いのですが、他のお香と調合すると臭くなくなり、お香の匂いを安定させ、長持ちさせてくれる。奈良時代のお坊さんはそのようなことを知っていたのです。
大安寺にある資財帳にも、同じようなお香の名前が書かれています。その中の麝香、これはジャコウジカから採れるもので、現代においても様々な香料に加えられています。麝香自体にも濃厚な香りがありますが、調合した香料の香りを長く保つ働きもあるそうです。
聖徳太子の1400年遠忌を記念して、奈良国立博物館では先月まで特別展「聖徳太子と法隆寺」が開催されていました。そこで展示されていた玉虫厨子をよく見ると、柄香炉を持つお坊さんが描かれていることがわかります。持ち運びができるように、柄のついた香炉です。仏様や尊い方にお香を捧げる時に使います。
正倉院にある丸い銀薫炉は、上半分と下半分がパカッと分かれ、中にお香を入れて焚くのですが、転がしても中はずっと水平を保てるようにつくられています。これは衣に香りを焚きしめるためのものでして、衣を上に掛けるのですが、蹴とばしても大丈夫。北倉にありますので、これも聖武天皇の持ち物でした。
聖武天皇が亡くなった時、60種類の薬も一緒に献納されたのですが、宝物と薬は目録を別にしています。薬の目録である「種々薬帳」のトップバッターは麝香です。お香と薬は重なっているところがあります。桂心や人参、高麗人参、大黄、甘草など、今でも漢方に使われているものがたくさん書かれています。
この目録の最後には「この薬を飲んだら、どんな病気も治る。(身体の病気だけでなく)どんな苦しみもなくなる」と書かれている。宝物は大事に保管されましたが、「この薬は病気の人のために使ってください」と光明皇后は書いています。「この薬を飲んだら夭折することなし」という言葉もみえますが、実はこの28年前に光明皇后の子どもは満1歳を迎えることなく亡くなっているのです。光明皇后は「あの時この薬があったら、あの子は死なずに済んだのに」と思い出していたに違いありません。子どもを亡くした後、光明皇后は病院である施薬院と、身寄りのない人を収容する福祉施設の悲田院をつくりました。献納された薬は施薬院でも使われていきます。
正倉院で一番有名な香木が、蘭奢待です。大きくて156cmもあります。香木の種類で言うと沈香です。昨年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、織田信長が蘭奢待を切る重要なシーンが放送されました。蘭奢待には三つ付箋が付いており、それは室町時代の足利義政が切り、織田信長が切り、明治10年に明治天皇が切った証ですが、実はもっとあちこち切られています。
沈香は沈香樹という木から採られますが、この木自体には香りがないそうです。傷ついた時に、傷を癒すため分泌される樹脂が固まったものが沈香で、傷ついた沈香樹の生への必死な営みの産物といえます。ちなみに、沈香は採れる場所によって香りが違うそうです。蘭奢待は香りの分析から、ベトナムとラオスの国境地帯で採られたと考えられており、香りを求めてそこまで行ったことがあります。
神社においても香りは大切です。春日大社の中に若宮という神社があり、毎年12月17日に春日若宮おん祭が行われます。奈良で一番大きな祭りで、平安時代の1136年からずっと続いています。午前0時に神様である若宮様が出てこられ、全ての明かりが消されたなか、西の方へ進み、お旅所に至ります。参道に立つと本当に真っ暗闇です。
やがて遠くに松明の明かりが見えてきますが、その前に良い香りが流れてきます。神様が進む道を浄めるために、沈香を焚いているのです。沈香の香り、松明が燃える匂い、そしてやがて、目の前を神職の方々が幻のように通っていきます。若宮様がお旅所に入ると、その前で様々な芸能が奉納されます。12月17日の午前0時から午後12時まで、24時間に及ぶお祭りです。午後12時が近づくと、同じように沈香を焚きながら、若宮社へ戻って行かれます。このようなお香の使い方もあるのですね。
最後はおまけのような話です。先日、「香りの器」という展覧会に行きました。古今東西の香水の瓶を集めた展覧会です。ある人がこんな感想を書いていました。「古い香水瓶を前にすると、自分の未生の魂を見ているような気になる」。ある人とは、私の兄です。兄らしい文章だと思いました。香水の瓶を見ているうちに、時を越えてしまったのですね。香りと共に時をかける。時間と香りの深い関係性を改めて思いました。
香りは期限があるものだと考えていた。外出する前に香水を付けると、家に帰る時にはその香りが消えてしまっているように。しかし、香りと記憶を掛け合わせることで、期限のある香りが永久のものになるのだ。ただ、記憶というのも永遠に存在しているものではない。どちらにしても、いつか終わりを迎えてしまうものかもしれないが、そのような点も含めて香りというものは儚いものなのではないかと感じた。また、想像力を豊かにすることがいかに大切かも学んだ。春日大社や東大寺など、ずっと存在している場所に行くと、建立された当時から今この瞬間までに訪れた全ての人々と同じ香りを共有しているのだと思い、胸が高鳴る。生きている時代は違えど、同じものを見て、同じように五感を使って鑑賞しており、想像するとタイムリープをした気持ちにもなれる。(山本茉由)
私はバイト先で薫玉堂のお線香を売っている。わかりやすい「宇治の抹茶」という名前のものから、「音羽の滝」など香りをあまり想像できない商品まで取り扱っている。コロナ以降、家での生活を快適にする香りの商品が売れているが、昔の人が香りを大切にしたのと同じように、現代でも香りとの関わりが続いている。また、蘭奢待は時代を越えて現在まで受け継がれているが、織田信長や明治天皇は蘭奢待の香りに何を感じ、想起したのか、時代によって感じ方は異なるのか気になった。時代を越えて好まれる香りがあるならば、それは土着的でアイデンティティと関わる、古代と現代を結びつける機能があると思う。(堀本宗徳)
西山さんは香木などが実際にどのような香りをしているのか全く説明しなかった。言葉だけで全てを表すのは不可能で、そのために香りや音、味などが存在するのかもしれない。五感全てが、私たちの表現の術であり、表現を受け取る術であると改めて思った。また、人が香りをどのように受け取るかはバラバラだと感じた。複数の人がいたら、その場に存在する香りは同じでも、受け取り方は何通りにもなる。自分以外の誰かが受け取った香りは、完全に理解することはできないから想像するしかない。そのような香りの魅力に昔の人は気づいており、だからこそ仏教にたくさんの香りの物語があるのかもしれない。(佐藤利香)
LECTURE OUTLINE
西山厚
2021年7月31日(土) 14:00–16:00
仏教史家の西山厚さんを招き、時間と香りについてお話を伺いました。「時をかける少女」から始まり、『宇治拾遺物語』、蘭奢待、果てはキャベツまで、様々な時代とジャンルを跳躍する西山さんの刺激的な話に、山城さんと受講者から質問が相次ぎました。香りとは、人や場所、出来事と共に記憶され蓄積されるものという要点について学びました。
1953年徳島県生まれ、奈良県在住。奈良国立博物館の学芸部長として「女性と仏教」など数々の特別展を企画。現在は半蔵門ミュージアムの館長を務める。奈良と仏教をメインテーマに、人物に焦点をあてながら、様々なメディアで生きた言葉で語り書く活動を続けている。