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  • レクチャー

「ume, yamazoe̶̶──人の感覚が優しくなる環境をつくる」
梅守志歩

2021年8月9日(月)

ume, yamazoe

Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)

「ume, yamazoe̶̶──人の感覚が優しくなる環境をつくる」<br>梅守志歩

奈良県山添村の宿ume, yamazoeを訪れて、オーナーの梅守志歩さんから、その理念や宿ができるまでの経緯、思考の変遷、山添村の本質的な魅力についてお話を伺いました。レクチャーの後は、梅守さんの言葉を全身で味わうことができるサウナを体験。ハーブを使ったフィンランド式サウナで蒸され、水風呂に飛び込み、デッキの上で風に包まれると、自分の身体が自然と渾然一体になったような不思議な感覚を得られました。

奈良県東部にある山添村は、
三重の文化が濃く、自然が豊かな場所

ume, yamazoeのある山添村は奈良県の最も東寄りにあり、三重県との県境に位置しています。生活圏としては伊賀や名張、上野に行くことが多く、奈良市に行くことはあまりないため、生活習慣や言葉は三重に近い感じです。村のおじいちゃんやおばあちゃんが話しているのを聞いていると、たまに言葉がわからない時があります。

ume, yamazoeは山の中にありますが、もともとの家は5棟あり、蔵をサウナに改修しました。「そんなところの家をよく買ったね」と言われますが、この家は東向きで、朝日が眼前から昇ってくるのがすごく綺麗。季節によって太陽が移り変わっていく様子を定点観測できて、自然の動きや流れがよく見える場所です。

大阪での営業マン生活から、
奈良の梅守本店に戻る

十数年前には新卒で大阪のIT広告営業の仕事をしていました。一昔前の営業マンのように、夜まで走り回って、数字を稼ぐような生活。3年で辞めて、両親が経営する梅守本店という会社に戻ってきました。自分の意思ではなく、家業だから誰かがやらなければならないという家の事情で、無理やり戻ってきたので、最初は本当に嫌でした。

梅守本店は、手鞠寿司を箱詰めして製造販売するのが本業です。どちらかというと、柿の葉寿司をつくる工場のような業態に近いのですが、もう少し可愛くて、華やかで、なんだか楽しそうな感じがしてしまった。最初は父に騙されたと感じていました。入社後すぐ、父がもともと構想していた寿司体験事業を立ち上げることになり、最初は子ども会や老人ホーム、障がい者施設を対象に始めたサービスでしたが、インバウンドの影響でヒットして、自分で寿司をつくって食べるプログラムを海外の観光客に提供していました。コロナ前は多い日で約千人が参加していました。

山添村につながる大きな転機
──オフィスキャンプ東吉野

私には大きな転機が2回あり、その一つが奈良県東吉野村にあるオフィスキャンプ東吉野です。クリエイターが移住することでコミュニティをつくる「クリエイティブ・ヴィレッジ構想」により、古民家を改装したコワーキングスペースが2015年につくられました。目の前に川がありコーヒーが飲めて、地域のイケてる人たちがいる。

デザイナーの坂本大祐さんと菅野大門さんが手がけているスペースですが、子連れで移住してきた大門さんが話してくれたことが印象に残っています。当時の私には、会社に所属して給料をもらって生活するという頭しかなかった。でも、菅野さんは川で流木を拾ってメルカリで売ってお金を得ていると聞いて、「田舎で住むってどういうこと」と衝撃でした。もちろんそれだけが仕事ではなかったと思いますが。お金を稼ぐ方法は色々あって、会社に所属しなくても生きていく術があるらしいと感じたことは、大きなパラダイムシフトでした。

山添村につながる大きな転機
──『旅をする木』

二つ目の転機は、『旅をする木』。アラスカの写真家の星野道夫さんによる本で、私のバイブルです。写真はなく、文章で書かれた短編集です。その中に「もう一つの時間」という章がある。自分が普段生活している時間とは別に、大きな自然の流れというもう一つの時間が流れている。自分は全く意識していないだけで、蝉の声や太陽の位置が変わるなど、別の時間がすぐ横で動いている、というようなことが書かれています。

東京の編集者が、アラスカまで会いに来て、鯨を見るツアーで、鯨が意味もなく飛び上がっていることに感動したという描写があります。言葉にならない感動で、帰国しても誰にも説明できなかった。電車に揺られているこの時にも、鯨が意味もなく飛び上がっていることを知れたのが良かった、と書いていた。私も会社に所属して仕事に追われていた時期でした。「自分が生きている時間とは全く違うところで、もう一つの時間が流れている」という感覚を持ちながら、毎日を生きていけたら豊かになると思えました。

価値観が変わる移住体験

私の暮らす家は築30年の7LDKで、なんと家賃は3万円。色々なものやお金の価値が崩れていくような気持ちになりますね。奈良市内から車で25分ほどで通えて、素晴らしい自然環境で、綺麗な星が見える。何かをしようと考えて移住したわけではなく、1年間ただ楽しみながら生活していました。山菜を採ったり、冬にしめ縄をつくったり、春先にはワサビの葉を採ったり。

その中で気づいたことがいくつかありました。一つは、村の人はgiveの精神がすごくあること。ここに住むようになると「そんなにキュウリは要らないから、そりゃ誰かにあげるよな」とわかるのですが、お金の価値が介在する都会でずっと生活してきた人からすると、頻繁に何かもらえて、見返りを求められないことが面白い。その精神性と思考回路に興味を抱きました。

村のおじいちゃんやおばあちゃんが
気づかせてくれたこと

おじいちゃんやおばあちゃんの能力がすごく高いことも、その一つ。例えば、この家を改装する時、隣の棟の2階に機織り機があり、窓が小さいのでどうやって降ろそうかと、工務店のおじさんも私も悩んでいると、近所のおじいさんとおばあさんが来て、印を付けながら解体し、持ってきた縄と板で滑り降ろしてから、組み立て直してくれた。全く違う方向から解決策を出してくれて、自分が知らないことがたくさんあることに気づかせてくれた。

基本的に余暇が少ないので、カラオケやレストランなどの娯楽が少なくて、何か面白いことがしたいとか、普段と違う日常を感じたいと思っている人が多く、しかもお金にならない知恵の結晶が詰まっている。興味深い調理方法や伝統工芸もそうだし、普段の生活様式にしても、もっと評価できそうなものがたくさんある。営業しかしたことがなかったけれど、何か仕事にできることがありそうだと感じました。そして、住んでいるおじいちゃんやおばあちゃんにとっても、生きる喜びや活力が湧いて、その人たちにスポットライトが当たる場所をつくれたらと考え始めました。

一次産業の生活リズムを
刻み続けてきた山添村の魅力

奈良の南部にある吉野や十津川などの村にはそれぞれ特色があり、修験道や伊勢街道、鯖街道などで栄えた土産物屋や宿が残っていて、「あの頃は良かった、あの頃に戻るにはどうすれば良いか」という思考回路があるように思います。でも、山添はずっと一次産業がメインの村。いつも田舎で、同じ生活リズムを刻み続けている。自然の恵みをいただき、お宮さんやお祭りを大切にする姿勢が残っている印象がある。それがすごく面白いと私は感じていて、外から来た人たちもそのままそれを受け取れるようなことができればと思いました。

いわゆる勝ち組の商材が何もない地域というイメージをつくりたい。温泉が出るとか、わかりやすいコンテンツが全くない中山間地域で、観光の力を使って、経済が生まれることができないか。その中で色々な人が一次産業以外の生き方の選択肢を持つことができる状況をつくれないかと考えました。私がこの村に来て興味深いと思ったこと、もっと価値になれば良いのにと思ったこと、そもそも人間としてこのような感覚で生きていけたら幸せだと思ったことを伝えられる場所をつくれたらと、考えを巡らせました。

村の人々と協働して
観光プログラムをつくる

梅守本店の事業をしていた時から旅行会社とつながりがあり、日本だけでなく世界中の現地旅行会社ともパイプがあるなかで、私にできることは何かと考えました。その中で、村役場と相談して、やまと観光推進協議会を立ち上げ、観光業で全く取り上げられてこなかった一般家庭の人々に協力をお願いする旅行ツアーを企画しました。旅行会社も新しいコンテンツを考えていた頃で、「私も並走するので一緒にやりましょう」と提案した。一次請けとして梅守本店が受け皿になり、旅行会社も一般の人も安心できるスキームを組んでいきました。

最初に茶摘みツアーを企画し、奈良市の高校の元校長先生と連携して、英語圏の人々が集まる20人程度の団体を週1回くらい受け入れて、茶摘みを体験して一般家庭でランチを食べて交流するコンテンツをつくりました。だんだん仕事が回るようになり経済をつくるイメージができてきた延長線上で、人として大切だと思う感覚を伝える場所がほしいと思い始めました。誰かの家をお借りして実施していたので、私たちの場所を持った方が身動きが取りやすいとも考えた。茶摘みツアーのプログラムを続けながら、コンセプトを何にしようか、3年間ずっと思いを巡らせました。

人として大切だと思う感覚

20歳くらいの頃、妹が白血病を患い、生きるか死ぬかという経験をしました。抗がん剤治療で髪が抜けて無菌室にいる妹の生活に、家族で並走しました。私は4人姉妹ですが、同じ頃に一番上の姉も後天的な重度精神障がいになり、突然、家の中で包丁を持って走り回ったり、意味のわからないことを叫びながらリビングを走り回ったりする状態になりました。

それまで普通の大学生として過ごしていた私は、病気や障がいを持つ人が身近にいるようになって、自分がある日突然死ぬかもしれない、精神的に自分が自分ではなくなるかもしれない可能性について考え始めます。病気や障がいのある人が周りにあまりいなかったら、異質な存在に出会うとびっくりして心理的に距離をとってしまうかもしれない。でも、よく考えると、社会は色々な人がいることで成り立っていると気づく。世の中には、当たり前に色々な人がいるのだと思うようになりました。

色々なものが調和している世界を、
穏やかな目でフラットに見る

自然が豊かな山添村では、羽の取れかけたトンボや足の抜けたカマキリを見つけることが日常茶飯事です。デザインされたのではなく勝手にそうなっている。自然の中で調和しながらそこに在るのを見ていると、色々なものを赦せたり、フラットな目線で普通に受けとめたりすることができる。良いとか悪いとかのテーブルに色々なものを載せなくなっていく。そんなふうに生きることができれば、人はもっと穏やかに生きられるのではと思い、そのように感じられる場所をつくりたいと考えました。

不完全なもの、完璧でないもの、自分と違うもの、色々なものが調和して世界はできている。それらを比較するのでもなく、排除するのでもなく、当たり前のこととして、穏やかな目でフラットに世界を見ることができれば良いなと思いました。

ちょっと不自由なホテル

2020年3月にオープンしたume, yamazoeのコンセプトは、ちょっと不自由なホテルです。行きづらい場所にあり、電波も弱く、値段が高い割にかっちりとしたサービスというわけでもない。不自由や不便だからこそ感じる自由やありがたさ、楽しさがあり、それが色々なものを赦せたり愛せたりする心になっていく。そのように人の感覚がもっと穏やかに優しくなっていくことをしていきたいと思っています。

そのための方法は何でも良かったのです。宿をしてみたいなんて1ミリも思ったことはないし、宿を経営した経験もありませんでした。フワッとした感覚的なことをやろうとしていたので、長めに滞在しながら感じてもらうのが良いと考えた結果、宿になった。今でも宿をしているという感覚ではなく、ただ場所を持っているという感覚に近いです。

目的はサウナではなく、
人の感覚が優しくなること

蔵だった建物を改装して部屋にしようと解体してみたら、土台がだめになっていたので倒すしかなく、倒してみると変な貯水タンクだけが残ってしまって、何かしないと空間として変なのでどうしようとなった。クラウドファンディングでお金を集めて、できる範囲で最大限のことをしようと考えてつくったのが、サウナでした。人の感覚が優しくなるような場所にしようと、最初は何となく露天風呂のイメージでしたが、お金がないので、同じように人が服を脱いで自然に還る機能を持つサウナだったらいけるかもと考えた。

日本には約5000のサウナありますが、「サウナシュラン2020」のトップ10に入ることができました。おかげでサウナ好きの集いに行って「奈良の奥の方でサウナをやっている」と言うと、「もしかして、あの」と人の輪ができてしまうのですが、そもそも私はサウナに詳しくない。木や火、風など自然の楽しさに私の興味はあるので、サウナをやっているつもりはあまりありません。

人の感覚が優しくなったり、穏やかになったりすること、それだけが自分のしたいことで、方法は何でも良い。野菜でも宿でもサウナでも何でも良くて、人の感覚がほぐれたり、自然に還ったりすることをしたいと思っています。レストランで数時間だけ過ごすのとは異なり、宿なら丸一日を過ごしてもらえるので、こちらが表現したいものを汲み取ってもらえるタイミングがたくさんある。私にとって宿は目的ではなく、装置です。装置としての宿は面白くて良い表現の場になるので、宿をして良かったと思っています。

土地や道、家は
自分だけのものではない

ume, yamazoeを始めてから色々と考え方が変わりました。まず、土地や道、家は、購入したからといって自分のものではないと思うようになったこと。準備期間中に最も時間を要したのは、ご近所さんとの調整でした。半年や数ヶ月の間、工事を中断したことが何回もあった。村でも有名な90歳くらいのおじいさんがいて、色々と思いもよらないご意見をいただくのですが、仲良くやっていきたくて、自信のあった自分のコミュニケーション力で突破できるだろうと思っていましたが、難しかった。

現在はご迷惑をおかけしない形で共存するようにしていますが、そのおじいさんは宿の前の坂に車があるとすごく怒る。宿に来る時にしか通らない道なのにと不思議でしたが、周りの人に聞いてみると、昔に皆で土地を分け合ってつくった道なのだと。昔の人が一生懸命に土をならして道をつくった過去があるから、うちの土地ではないのだと感じました。

村長の家だったこの家も、120年の歴史の中で、今は私に順番が回ってきてお預かりしているだけ。購入したから私の家、と言うのはおこがましい。私たちはこの土地に存在させていただいているという感じ。ここにいることは当たり前ではなく、色々なものとの関係の中で自分は存在している。自分という主体の視点からグッと外に引いて、自分のものではないと感覚的に思うようになりました。

わからないことがたくさんある

また、人間は意味を見つけて安心したり理解した気になったりしますが、全てに意味があるわけではないと思うようになった。自分だって何となくやってみることが多々あるのに、自分以外のものや自然には意味を求めてしまう。でも、そんなものはない。高いところから見下ろして何となく知ったような気になるけど、そうじゃない。

この場所で音に耳を澄ましていると、午前4時40分頃から5時過ぎの朝日が昇る時まで鈴虫がずっと鳴いていますが、5時を過ぎると鳥が鳴き始めて、気温が上がると蝉の鳴き声が若干奥の方に聴こえるようになる。6時頃になると鈴虫がいなくなり、昼の音になっていきますが、7時から8時半くらいの間に、誰も何も音を立てず静かになる瞬間がある。インターネットで色々と調べても答えがわからない。わからないことがたくさんあって、何でもわかった気になっている人間がおこがましいだけ。そのスタンスで世界を見る方が、自然はよく見えます。

自然を通して人の感覚が優しくなるために、気づいたことを一つずつ、時間に縛られずやり続けてきたなかでこの場所ができたのは、私にとって無理がなく自然だと感じています。自分自身のことも不完全だと思っていて、この宿も百点満点ではない。不十分でも良いので、自分の考えていることを少しずつ進めていくことが、未来をつくっていく。その中で色々な人が生きがいを感じながら働いたり、住んだりしている場所になっていったらと思っています。

  • Update: 2022.03.15 Tue.
  • Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)
  • Photographer: 山中美有紀

REFERENCES

講座について

LECTURE OUTLINE

梅守志歩

レクチャー「ume, yamazoe̶̶ 人の感覚が優しくなる環境をつくる」

2021年8月9日(月・祝)13:00–15:00

ume, yamazoe

奈良県山添村の1日3組限定の宿ume, yamazoeを訪れ、オーナーの梅守志歩さんから話を伺った後、梅守さんの言葉を全身で体感できるホテルとサウナを味わいました。サウナ室で蒸され、水風呂に飛び込み、デッキで風に包まれると、身体が自然と渾然一体になったような得も言わ
れぬ感覚になりました。

梅守志歩
ume, yamazoe支配人

1988年奈良県生まれ、同在住。大学卒業後、大阪での会社勤めを経て、家業の寿司製造メーカーである梅守本店で職務に就く。2016年9月に山添村へ移住。寿司販売の営業の傍ら、旅行会社向け田舎体験ツアーの企画・販売を行う。2020年3月、古民家をリノベーションした宿泊施設「ume, yamazoe」をオープン。