CHISOU

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「共有空間のモックアップをつくってみる」
小山田徹

奈良県立大学 CHISOU lab.(オンライン配信あり)

Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)

「共有空間のモックアップをつくってみる」<br>小山田徹

数十年にわたりカフェや焚き火など人々が集う共有空間の開発を手がけてきた美術家の小山田徹さんから、共有空間の概念とそこにアプローチする方法についてお話を伺いました。その後、事前に集めた約200個のダンボールを使って、1日目は「居心地の良い個人的空間をつくる」、2日目は「皆で共有できる空間をつくる」というお題のもと、空間のモックアップをつくってみるワークショップを実施。皆で一緒に共同作業をすることを通して、各自の個性やプロジェクトサイトの特性を感じとる機会になりました。

レクチャー&ワークショップの
目的と流れ

私は大学で彫刻の教員をしていますが、オブジェのような作品ではなく、美術の立場から、社会に人々と共有できる空間や時間をつくっています。その活動によってできたものが自分の作品だという認識はないのですが、周囲の人々が美術行為として捉えるようになり、美術家として活動してきました。

前半のレクチャーでは、「共有空間の獲得」という視点で活動を振り返りながら、「共有空間とは何か」「共有空間にアプローチするにはどんな方法があるか」をお話します。後半のワークショップでは、この空間を自分たちのものとして獲得していくために、作戦会議をしながらダンボールでモックアップをつくり、どんな空間ができるかを探ってみましょう。モックアップとは、建築や家具などをつくる際、大体のスケールで使い勝手を考えつつ手がかりになるようなモデルをつくることです。空間を仕上げるのではなく、どんなことができるのかを妄想する時間にしたいと思います。

それぞれの人の周りに
自然に在る共有空間

私の活動の基本形は、共有空間の獲得です。共有空間とは、人々が集い、自律的に交流・交換・交歓し、世代を超えて価値観を共有したり、伝承したり、発展させたりして、社会の営みが行われる場や時間のこと。共有空間は無理矢理つくらなくても、それぞれの人の周りに自然に存在していて、他の人の共有空間とどういう形で手を結び、重なり合うのか、距離をとるのか、そのようにできあがっていくのが共有空間です。

誰とどういう形で意識的に結びつけられるかが、能動的につくる側になるのか否かを決める。今の時代は、大学の食堂や広場、公園など様々な公共空間が与えられ、「ここで交流をしてください」と準備されている。与えられた空間だと気持ちの良い空間にしようと掃除したり努力したりするでしょうか。

共有空間の獲得は、愛の問題

共有空間の獲得は、愛の問題と関係しています。どうしたら愛が芽生えるのか。人間だけでなく、空間や時間に対する関係にも言えます。愛の種類、深さ、持続できるかどうか。愛という言葉は陳腐ですが、すごく重要。愛が湧く、愛を感じる、愛を受ける、それらは人類が何万年もかけて獲得してきたエネルギー交換の一つの形です。どうすれば愛が芽生えるかという視点で空間や関係性をつくることに、美術の立場で取り組んできました。

愛が湧くための最大の方法が、獲得感です。自分でつくったという感覚があるか否かで、空間への愛の深さが変わる。子どもが自分でつくった基地で過ごす時の空間への愛着は、公園で遊んでいる時よりも強い。今の時代は誰かがつくった何かを利用せざるを得ないけど、どこかに隙間をこじ開けて自分たちで何かをつくり、獲得感をもてないでしょうか。

共有空間に興味を持ったきっかけ
──友人のHIV感染から始まった勉強会

私はダムタイプというパフォーマンス集団の創立メンバーでしたが、世界中を巡回している絶頂期に、同級生のメンバーがHIVに感染し、カミングアウトを受けた瞬間から、私の人生と価値観が変わりました。1990年代の当時は日本でエイズに関する情報が少なく、いつ死ぬかわからない友人を目の前にして、どのように共に活動していくのかをとても悩んだ。その悩みを50人くらいの友人が共有し、皆で毎晩集まって話し合う。悲しんでいるだけでは前に進まないので、HIVの研究者や看護師を招いて色々な勉強をしました。

エイズを治すことはできないけど、エイズを取り巻く差別や偏見、社会問題に関与できるかもしれないというところから、私たちの活動方針が定まっていきました。メンバーの中には、社会活動家もいれば、セックスワーカーという身体を介した仕事をしている人もいて、色々なタイプの友人がそれぞれの立場で同じ問題に向き合うことになった。ダムタイプでは表現を核にして、その問題を取り込んだ作品を上演し、世の中に問いかけ、思考することを誘発するような作品をつくりました。

高い専門知識を持つほど、
空間や活動の敷居は高くなる

その頃、私はダムタイプのオフィスに住んでいましたが、小さな部屋に毎日50人もいると仕事にならない。京都の特異な大家さんが「社会的な活動をするなら、自由に使って良いよ」と声をかけてくれ、京都大学の東の端っこの山麓にある古い一軒家を提供してもらった。50人全員で引っ越しをして、Art-Scapeという空間をつくり、ここを中心に、様々な社会活動が生まれました。

横浜で日本初の国際エイズ会議が開かれましたが、当時は政府と関係者、製薬会社だけが参加する秘密会議のようなもので、民間の活動団体は参加できなかった。そこで、国際会議場の前の広場を借りて「Love+(ラブ・ポジティブ)」というレイヴパーティーを開催した。会議を終えて通りがかる人をパーティーに連れ込み、世界中の活動団体や患者本人がアピールしながら交流し、大成功でした。

私たちはパフォーマンスを専門としてきたのでショーをつくり上げるのが得意。舞台関係者も手伝ってくれて奇跡のショータイムになりましたが、少しずつ疑問が湧いてきた。色々な活動をしても世の中はそんなに変わらず、燃え尽き症候群のような疲れが溜まってきて、なぜなのかを皆で考えました。至った結論は、答えを一つに求めすぎたのではないかということ。

エイズによる差別のない世の中をつくりたいという思いはあるけど、活動に注力すると、そうならなかった時のショックも大きい。こだわりすぎると活動は排他的になりがちで、誰もが入りやすい空間や活動体をつくっているはずなのに、ジェンダーやセクシャリティーについて2年間も勉強していると、高い専門知識を持つようになり、初めての人には敷居が高くて無言の圧力を与えるようになる。一つの目標を活動の中心に据えると、社会に対してある種の暴力性を帯びてくるのかもしれません。

対話し考え続けるための
共有空間をつくっていく

自分にとって最も大事なのは、何か問題について議論したり共有したりする時間や空間をつくり続けていくことではと考えるようになった。時代が変わっても変更を重ねながら対話する場所をつくり続けていく。それぞれの段階で出す結論はあっても、正解を一つに限らず、何かを常に考え続けていくことが必要だと思い、それを「共有空間」と呼ぶことにしました。

自然に意見交換ができる方法や、可変的な組織のつくり方を考えるために、色々な活動を集約するようになり、気が楽になりました。私は舞台美術や工事現場のアルバイトをやってきたので、内装の施工もできるし、認可が必要な場合は建築家の友人に頼める。世の中に色々なタイプの空間を忍び込ませていく活動を始めましたが、その頃はアートとは捉えられず、セミプロの建築集団としてインディペンデントのカフェのように認識されました。

オールナイトカフェで得た、
初めての獲得感

Art-Scapeでの2年間の活動で新しい人が入りにくくなったことを感じとっていたメンバーたちと次の方法を考えていた時、京都大学の近所の古い洋館の寮で、寮生と一緒にオールナイトのWeekend Caféをすることになりました。暖炉のある雰囲気が良い空間で、長机を置いてカウンターをつくり、向かいの酒屋から飲み物を仕入れて、端数を切り上げて、仕入れ値が230円なら250円で売る。営業許可がないのでホームパーティーでのカンパだという暗黙の了解にした。好きな飲み物を自分で持ってきて、お金をチャリンと入れて、自分で開けて飲む。2週間に1回のペースで、土曜日の夕方5時から翌朝5時まで。口伝えだけでネズミ講のように広がり、3回目には200人ほど集まって大盛況。大学の近くだから様々な分野の学生や教員も来るし、アーティストも集まってくる。京都中の重要な人が来て、会いたい人に会える場所になった。

カウンターにいるマスターはニコニコして、仕入れた飲み物を並べて渡す。それだけでお金が勝手に入ってくるという仕組みに皆が気づくと、マスターになりたい人が続出し、客の大半がマスター経験者になった。準備から片付けの仕方まで全員が知っている状態。標識で示さなくても分煙が自然とされるようになり、近所迷惑にならないように皆が勝手に動くようになる。

このWeekend Caféで私は初めて獲得感を感じました。そんな奇跡が3年間続きましたが、留学や進学でメンバーが抜けて、建物が歴史的建造物に指定されたため使えなくなった。でも京都のある時期に、ここである種の感覚を共有し、こういうことが可能なのだと皆が噛み締めることができました。

バザールカフェでの実践

Weekend Caféがなくなり困っていた常連の看護師たちが、同志社大学の近くにタダで借りられる洋館を見つけてきた。今度はもっと開かれた場所にしようと、皆でバザールカフェと名づけ、営業許可を取って運営しました。美術をやってきた人間は、デザインもできるし、空間もつくれるし、潰しが効く用務員的な能力があるので、私も積極的にその役割をこなしました。

外国のメニューがあるのですが、トラブルを抱えている外国の人たちに、故郷のレシピをつくってもらい、レシピ代として支払われる仕組み。誰かがそのメニューを食べると、そのお金はダイレクトに誰かに渡って助かるようになっており、食べることは重要なアイテムでした。昔から近所で焚き火がされていた場所だったので、奇跡的に焚き火もできた。その焚き火を使ってこっそり料理をする。保健所的にアウトだけど、保健所のスタッフも昼飯を食べに来るから黙認してくれていた。

この場所の一番の特徴は、全ての人に対して守秘義務があること。一緒に皿洗いや作業をしている時にポロッと聞いた秘密には守秘義務がある。先生や医者と同じように、他者の秘密を共有する機会が多いので、全スタッフが守秘義務を意識しなければなりません。

できるだけ自分でつくることで、
どんどん湧いてくる愛着

バザールカフェでは、できるだけ自分たちでつくることを心がけました。つくり始める前にオールナイトのカフェを半年間やって、さりげなく設計図を置いて「こんなカフェができたら」と色々な話をした。数百人も集まると特異な背景を持った人もいて、計算が得意な人、庭師、大工経験者もいる。気がつくと半年間でたくさんの寄付も集まり、夏休みに40日間かけて改装しました。私は現場監督で、後輩の一級建築士を設計監督にして、大学で建築を学んでいた学生を口説いて助手にした。長期の現場では食事や休憩をするための飯場を先につくるのですが、ここがミーティングの場所になって楽しい。雑談をしているうちに仕事の分担ができて、皆が自律的に動きだす状態になる。

現場監督として恐ろしかったのが、毎日30人くらいの素人さんが来ること。プロだと一瞬でつくれる空間を、素人の技術で楽しく皆でつくる方法を考える必要がある。2時間でできる作業量を考え、少しずつ技術を身に付けてもらいながら、人手がないと組み立たないような設計をわざとする。ペンキ塗りなら皆でできるからスロープをつくって塗ってもらったり、ベンチもクッション一つを包めば済むところをわざと300個くらいに小割りしたりする。皆が「自分がつくった」と思えるから、気づくと裏に自分の名前を書いている。

失敗の跡はプロだとクレームの対象ですが、自分たちでやったのなら記念や風合いになり、どんどん愛着が湧いてくる。できあがると、参加した人は皆スタッフのようになり、自分の店という感覚になる。色気のあるサービングの仕方を考えたり、カウンターのシステムをつくってみたり。そんなふうに皆でつくってオープンしたので、色々な人が来てくれて、飲み食いしたら誰かが助かるから機嫌良くお金を使ってくれる。

ここは老舗のカフェの一つとして、今も京都に残っています。色々な団体からメンバーが集まって理事会を組織して運営している。理事会はトップダウンで決定せず、現場で解決してもらえるようにするのが方針で、3年毎にシャッフルされてカフェの雰囲気や嗜好性が変わる。最初は私たちが中心だったけど、その次の代は経営戦略をしっかり立て、本格的なカフェを目指すチームになった。今は同志社大学やキリスト教系の人々が中心になり、ケアの観点でやっている。でも、飲み食いしたら誰かが助かるという理念は同じです。

今も日本で受け継がれている、
屋台や小屋を活かした共有空間

その後、「ID 10」という施工集団をつくり、個人の家をゲストハウスに改装したり、ギャラリーをつくったり、仲間と一緒に色々な空間設計をしました。どのように共有空間を社会とつなげていくのか、そのような空間を過去の人々はどのように維持してきたのかを考えていた時、銭湯や屋台、市場など、今もギリギリ残っている共有空間があることに気づき、ちょっとずつ手をつけてみようと思いました。

最初に地域に入るためのスタートキットとして屋台は、とても有効でした。屋台を少しだけ大きくすると小屋になりますが、壁を立ち上げて屋根を載せた瞬間にワクワクする。子どもの秘密基地のように、そこに入った瞬間に感じる空間性を核にしたつくり方ができないかと考え、しばらく小屋づくりに取り組んだこともあります。例えば、福井県の陶芸家の庭につくった小屋は、陶磁器を乾燥させるためのものでしたが、使わない時はコンサートや読書会など色々なイベントができるようにつくりました。

火事や天災など様々なリスクがあるため建築物は簡単にはつくれません。10平米以上の建築物は申請が必要で、国家資格を持つ設計者が要る。電気やガスなどのライフラインに関わるものも勝手につないだらダメ。だけど、皆さんがこれからここでやっていくようなリノベーションは狙い目で、耐用年数が終わった建物が再利用される時代になっています。

人類が共有のために
大昔から実践してきた、食と焚き火

太古の昔から人類が実践してきた共有のための要素の一つに、食があります。食にまつわることを組み込んだら、絶対に楽しい。焚き火をするようになってからは「焚き火に敵うものはない」と思っています。人類は大昔から毎晩火を焚いて過ごしてきた。戦後しばらくは、まちなかでも火を焚いていて、学校帰りの子どもも火にあたりながら帰っていた。だけど一挙に直火がなくなって、特殊な場所じゃないと焚き火ができなくなった。それでも焚き火にあたると、遺伝子に組み込まれた何かが発動して、ワクワクする。自己紹介もせずに自然と喋っている。それって人類が長い時間をかけて蓄積した、共有のための要素の代表格なんじゃないかな。

大学の授業でも焚き火をしますが、火を前にすると自分のことをポツポツと話し始めたり、テーブルでの対面だと話せない問題を共有したりする。その空間性はどうしたら獲得できるのか、焚き火に代わるものは何かを考えると、本当に面白くて感慨深い。

どうやったら本当の愛を
つくることができるか

照れくさいけど、最後に言いたいのは「どうしたら本当の愛をつくれるのか」ということ。用意された愛は嘘っぱちで、親や社会が語る愛は、偽善的で眉唾物で、ズレがある。自分の立場に置き換えて、愛を獲得し直す必要があります。パートナーや家族などの関係性も含めて、本当の愛を知りたいし、本当の愛をつくりたい。

パートナーの関係性だと、向き合ってお互いに引き合い同化する時期も必要だけど、家族をつくり一緒に長く生きていくことを目指すなら、向き合うのではなく、徐々に同じ方向を向くという、ベクトルを共有する必要がある。集団性においても同じです。イベントや共同作業だと、内側で向き合い盛り上がって一体感を得られるけど、持続していくためには、大きなベクトルを共有して同じ方向を向く状態をつくる必要がある。皆が同じベクトルに向いているというのは、それぞれが外に向いているということ。外部から入ってくるきっかけができて、自分たちを客観化できる。皆さんもそういう方向を見つけていけると良いですね。

長々とたくさん喋ってしまいましたが、ちょっと休憩してから、ワークショップに入りましょう。

  • Update: 2022.03.15 Tue.
  • Editor: 西尾咲子(プログラムマネージャー)
  • Photographer: 前川俊介

REFERENCES

講座について

LECTURE OUTLINE

小山田徹

レクチャー&ワークショップ「共有空間のモックアップをつくってみる」

2021年9月11日(土) 13:00–17:00

柴田ビル3階

2021年9月12日(日) 10:00–17:00

柴田ビル3階

美術家の小山田徹さんから、数十年にわたり共有空間をつくってきた経験や、共有空間の概念とアプローチするための方法について話を伺いました。その後、約200個のダンボールを使って、1日目は「居心地の良い個人的空間をつくる」、2日目は「みんなで共有できる空間をつくる」というお題で、空間をつくってみました。作業を通して各自の個性やプロジェクトサイトの特性を感じられる機会になりました。

小山田徹
美術家/京都市立芸術大学教授

1961年鹿児島県生まれ、京都府在住。1984年、大学在学中に友人たちとパフォーマンスグループ「ダムタイプ」を結成。主に企画構成、舞台美術を担当し、国内外で数多くの公演に参加。1990年より様々な分野の友人たちと造形施工集団を作り共有空間の開発を行う。